ミリオンライブ「6年生」僕、気付いてしまった闇と光。
アローラ!
ぴぃ高と申します。
人間って複雑なものですね。
好きなもののことを考えてしまうと、好きだったものに想いを馳せて、いろいろと考え込んでしまう。
そこでものすごい「闇」を生み出してしまって、ふせったーという機能をはじめて使ってまで先日、感情を吐露することになります。
見える人には見えた内容でしたね。不快にしてしまったら申し訳ありません。
ただ、その気持ちにも続きがあって。
感情のフィードバックをするうちに、闇の中にも、光があった、ということに気が付きます。
今回はそういうお話。
5月以来久々に、常体で書き殴ります。
前半は読んだこともある文章かもしれませんが、お付き合いください。
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美しいものは、少しでも傷つけば、価値を失う。
そんなことを深く実感してしまった。
ミリオンライブの8thライブの会場と日程が発表された。
ミリオンライブの「ライブ」という存在を認識した以来、はじめて「特に行きたいとも思わない」という感情を抱いた。
アレだけ、
「ゲームおもんな ゴミゴミ 運営アホ 曲刺さんね」
言ってた7thですら、「まぁ顔くらい出そうかな」って思っていたのに。
同時に「あ、もうこのコンテンツの客じゃなくなったんだ」とも思った。
楽しんでいたものが無自覚に手から滑り落ちていく感覚を自覚した気がする。
自分は、「アイドルマスター」で最初に触れたブランドが「ミリオンライブ」だった。
だから、それなりにこのコンテンツの「フレーム」が好きでもあった。
フレーム=設定 と、解釈してもらって構わない。
その好きであったフレームの前提条件として置いていたのが、「ミリオンライブは、50(52)ではなく、37(39)+13」という考え方。
わかりやすく言えば、「765ASは添え物であって、あくまで自分が見ていたいのは37(39)人の集合体」であった、ということ。
マジで怒られるかもしれないけどそういう見方しか自分には出来なかった。
僕に「ASで誰が好き?」と聞いたらめちゃくちゃ間が空いて「…...やよい??」って答えが返ってくるのはそのためである。やよいは純粋にかわいい。
あくまで添え物は羨望の対象であり、その羨望の対象に最初は手ほどきを受けながら、追いつけ追い越せしているところ、というかそういう展開を読み取れるところが好きだった。
CDシリーズでいうと「MTG」まではその好きな流れに沿っていたと思う。
ターニングポイントになったのは、「TC」と「ラビットファー」。
「TC」は、投票にASが参加した。
ある種の羨望の対象がごちゃごちゃになった瞬間がここである。
「ラビットファー」は、「ASだけのユニット」が「ミリオンライブのCDシリーズ、ミリオンライブのゲーム内時空」として産まれた。
羨望の対象のようなものにロールプレイングの一環として向き合うことを強いられた。あり得ないほどの違和感を覚えた。
あくまで自分にとって神格化しているような存在に、「成長させていくロールプレイングの対象」と同じように向き合え、と言われているような気がした。
このシリーズも、なんだかんだで曲は全部聴いているので一部の論外を除き曲は悪くないと思う。「曲はちゃんとしている」というコンテンツについて良く下される評価のとおり。
その良さはしっかり保持しているんだけど、フレームが気に入らなくなってしまった。
そんな気持ちを少し引き戻したのは7thライブ。
そこで展開されたのは、37(39)人の行き着く先としてずっと「見たかったもの」そのものだった。だからこそ、当時は感情前のめりのブログを書いたんだと思う。
まぁ、チュパカブラとかいう汚物は見たくもなかったが。
そして、今。
AS交じりの展開が加速している。
ゲームではユニット、そしてMS02シリーズ。
リリースされたパーツを切り取れば、とても素晴らしいものはある。例えばジュリアと野々原茜のソロ曲。この2つは本当に素晴らしい。
ただ、コンテンツのフレームは明らかに好きではない方向に向かっている。
特に旗を持って展開しているミリシタの展開。
新しいCDシリーズ、ユニットの楽曲は、MTWシリーズ以上に刺さるものがない。
そこで抱いたのが、この「自分はもはやミリオンライブの客じゃない」という感情である。
客じゃなくなったのなら、楽しかった7thの記憶のままフェードアウトできる今のうちが、幸せだなって思った。
ひとつ付け加えると、キャラクター、演者、楽曲、運営、周りのオタク。誰ひとり悪くない。悪いのは正規の、箱として推すルートみたいなのに乗らず、歴史を履修せず、自分の世界を勝手に構築し、勝手に変化についていけなくなった自分。
多分、8thには行かない。
誘われたら酒だけは飲みに行く。かもしれない。
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この文章こそが、自分の中で生まれた、闇。
伏せてでも吐きたくなったもの。
見せたら誰かを傷付けると思い、封じ込めると思ったもの。
しかし、この濃くなった闇の裏には、光が存在する。
光がうまく中和してくれると思ったから、この文章を世に解き放ってもええやろ!という気持ちになった。
光の大元は、この時期にあったシンデレラガールズ10thライブ。
この振り返りのために、自分の好きや嫌いに対してそれはそれは深〜く掘り下げたわけで。
普段のツイートのテンションではあり得ないほど、シンデレラガールズというコンテンツに対する好きを、喜多日菜子という女に対する好きを吐き出した。
その副産物としてこの文章、この感情が存在しているのだが。
副産物の、さらに副産物として、
めちゃくちゃ好き、というか性癖にぶっ刺さるものがあることに気付いてしまった。
あろうことか、突き放した、突き放されたはずのミリオンライブに。
コンテンツ自体の客ではないが、その要素に対しては客でありたいと思うもの。
それが野々原茜、である。
ミリオンライブ6年生、2年不登校の自分に、まさかこのタイミングで新たな気づきが生まれるとは思わなかった。
それくらいの意表。普段のツイートからは相当面食らうような内容だと思うがいちばん面食らってるのは俺だ馬鹿野郎。
コンテンツのフレームが好きで、ずっと追いかけてた故に、37人のキャラクターに対する理解はそこそこある自負はある。
(39人じゃないの?ってここでツッコミを入れるヤツは広辞苑で「文脈」という文字を調べ直したうえでランドセルを背負ってお近くの校区の小学校へお進みください。)
そこで「好き」と「嫌い」に対して考えてみたときに、自分の好きに明らかにマッチする存在として引っかかった女がいる。
そのときの感情の生メモがこれ。
見せたい顔と見せたくない顔がはっきりしていてそれを表に出さないよう頑張る(頑張ってるであろう)女が性癖すぎるのでよくよく考えたら野々原茜マジで好きじゃん。
この内容は、喜多見柚に対して色々と感情をぶつけたときに書いたものとものすごく似ている。
ここまでドストライクなキャラクターが6年間近くに存在していたのによくわからん担当単推し縛りして遠ざかってたの、お前、何???
これが光。
いや、嫌いなコンテンツに後ろ髪を引かれまくってるので闇かもしれない。
そんなお話。
彼女に対しては、「担当」と名乗ることは無いと思う。
何故なら彼女の存在しているフィールドが、進もうとしている道を僕は否定しているからだ。だから、コンテンツが提示している推し方に乗る、ということはしたくない。
推しとして、ファンとしての視線を持って、彼女にこれから接していくことになるだろうな、と思った。
同じような立ち位置に園田智代子というキャラクターが存在しているので、同じような推し方に収まる、と思う。
ミリオンライブ小学校、だいたい6年生、卒業証書。
コンテンツの進む道との訣別とともに、新たな楽しみ方と楽しむための視座がそこには記されていたのかもしれない。
セカンドヘアスタイル野々原、バチボコ性癖なのでそこだけ課金したろうかな。
それ以外はゲームやる気も無いし、金落とす価値も無い。シアターデイズ、ゲームが本当につまらないという欠点はいつまで経っても、塩をつけても薬を塗っても治りそうも無いので。諦めてもうてます。
ミリオンライブ、これからも良い距離感でいような、と昔発言したことは、どうにか守れそう。そんな気がする。
それでは。
2ヶ月ぶりに見たわこの画面。
PS
この文章のインスピレーションは、ライブのときもそうなのですが、ある人間が5ヶ月も経過しているのにいきなり投下したミリ7thの感想文から受けています。彼が定期的に、ブログを書くことを心待ちにしています。
それと深夜、気持ちのフィードバックに付き合ってくれた方にも感謝を。