ぴぃ・ダイアリー

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心が揺れた瞬間を、出来るだけ書き留めておきたい、そんな場所です。

1/50を追い続けて、引っ張られて~10th Anniversary Celebration Animationと喜多見柚にまつわるエトセトラ

 「引っ張られたい女と、引っ張りたい女が居るから」

 


 普段仲良いと僕が思い込んでいる人間たちに「どうして未だにシンデレラガールズのゲームを続けているのか」とよく聞かれることがある。(僕もどうしてそんなゲームまだ続けてるの、と彼らに言いたくなるときが多いが…まぁ、大人なのでね…)基本的には「Oh…I'm Cygames dog…」と返しているのだが、真の答えを出すとするならば、これ。

 


 引っ張られたい女というのが喜多見柚

 引っ張りたい女というのが、喜多日菜子

 


 シンデレラガールズというコンテンツの裾にしがみついている僕が、それなりに大きめの感情を持っている2人のキャラクター。同じように見えて少し違ったスタンスをしているので良い感じに飽きが来ない…というのがここまで保っている要因なんだと思う。

 

 そんな彼女たちに大きな出来事が、2週間立て続けにあった。少なくとも僕の心をぐちゃぐちゃに引っ掻き回すには充分すぎる出来事。その記録を残していく。

 


 まずは引っ張られたい女、喜多見柚から。

 

 


 ふいうち

 


 必ず先制できる(優先度:+1)。相手が使う技が攻撃技ではない場合や、優先度などの関係ですでに攻撃を終えていた場合は失敗する。相手が『ねむり』『こおり』状態でも攻撃技を選択していれば成功する。(第6世代は威力:80)

 


 おいうち

 


 相手がポケモンを交代する時に攻撃すると、交代前のポケモンに2倍のダメージを与える。

 


 極悪コンテンツ、アイドルマスターシンデレラガールズからタイプ一致の2つの技を同時に食らってしまった僕、コンテンツの亡霊、ゴーストタイプ。弱保もなければ襷もない僕の耐久では受けきれなかった。

 

 8月28日に公開された、CINDERELLA GIRLS 10th Anniversary Celebration Animation 「ETERNITY MEMORIES」、その17分22秒頃からの映像。そして後半の「EVERLASTING」


www.youtube.com

 心臓から手が生えてスクランブルエッグを作り始めるかのように、心をぐちゃぐちゃに掻き回された。

 そのあとに別のイベントに行かないといけないのに、推しを目の前にする直前なのに、心の切り替えが出来るのか不安になってしまうくらいの爆弾がそこにはあった。

 


 アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツの、裾を引っ張り続けている大きな2つの理由の片割れである喜多見柚というキャラクター。

 10年の節目を迎えたコンテンツの「メモリーを拾い集める役目を任された彼女が、パートの主役として動く姿。久しぶりに聴いた「思い出じゃない今日を」、そしてサプライズは、CDとしてリリースされた音源とは違う、武田さんが歌唱している「EVERLASTING」の音源。

 


 このコンテンツ、個人の感覚では50回に1回くらいしか褒めることが無い展開をしてくるけれど、その「50分の1」に今回も敗北を喫してしまった。このアニメーションは、それくらい「僕にとっての」思い出ボムとして良くできていた。(キャラクター全員に寄り添えているか、という問いの最高回答とは言い難いので「皆見たほうが良い」とは口が裂けても言えないけれど。)

 

 そんなアニメーションで語られたのは、「過去も未来も、観測者(≒プレイヤー)にとって、無限に存在する」ということ。正史通り順を追っていかなくとも、後付けの知識でも、それを否定しないスタンスの表明ともとれるこの一節が心を軽くしてくれた。その反動でこの文章が構成されている。

 


 というわけで、前回に引き続いて昔話。

 


 喜多見柚をキーに出会った50分の1の「良いこと」について書いていく。

 

 冒頭、柚が招待状を受け取ったスノーマンの衣装。僕にとっては「お隣が総選挙とかいうのやってて、気になったキャラクターを特訓させたらいきなりコスプレしたんだけど…」という戸惑いに似た思い出が浮かんでくる。

 


 着ていた水着のカードをはじめてみたときの感想も「水の表現が丁寧だなぁ」くらいのものだった。

 この通り、始まりはホントに薄い「感想」程度しか得ていなかった存在が喜多見柚だった。ショートカットという性癖を頼りにピックアップしたキャラクターの中で、いちばん声が付きそうな子は誰だろうという検索と詮索の着地点が彼女だっただけ。

 

 「コミュとか歴史とか他人の解釈とかにもほとんど触れてないのに、面白そうという理由だけで2年続けて、しかも2年目はバイト代の半分を突っ込んでまで票を入れた女」が、特別な位置に居ない訳がない。「シトロンデイズ」のカードではじめて声を聞いたときの、今でも思い出せる感慨を引き鉄にして漸く、彼女と対面で向かい合う姿勢を取ることになった。

 

 この一年後に。

 

 このボイス発表のすぐあとに、心の底からシンデレラガールズ(厳密に言えば、それに関わっているオタク)が嫌いになる出来事が起きる。コンテンツが提供する、50分の1の良いことが立て続けに降ってきて、勘違いして25分の1くらいのペースで求めるようになってしまったが故の苛立ち。当時の好きなキャラクターに対する負い目もあって、接することを控えていた。

 

 そんな場所に戻って来るきっかけは、やはりノリと勢いだった。

 THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS SS3A Live Sound Booth♪。友人から「え、行くでしょ?」と言わんばかりに手渡されたライブ・ビューイングのチケット。アルバイトのシフトを捻じ曲げて参加したこのライブではじめて「喜多見柚: starring 武田羅梨沙多胡を観た。

 


 一言で言ってしまえば、溶けた。

 喜多見柚としての声を聴いた脳と、コンテンツに対して感じていた閉鎖的な気持ちの双方が、文字通りに。

 

 あまりにも再現度の高い喜多見柚の代弁者として、この先何度も何度も自分の中で勝手に勝負を挑んでは敗北を喫することになるこの女性とのはじめてのマッチアップは、やはり、というべきか。余りにも清々しいほどの敗北だった。

 

「担当じゃないけど」それなりに好き、

「担当じゃないけど」お話は読む、

「担当じゃないけど」ライブは観に行く、

「担当じゃないけど」イベントはそれなりにやる。

 


 ことあるごとに「担当じゃないけど」と頭に付けて接するスタンス。「いや、別に(好きな推しいるし)コレにはまだ負けてねえから」と言いはじめたら大抵もう負けているという斜構のジンクスの始まりは思い返すと、彼女にあった。

 


 その中途半端な距離感に蹴りがついたのは7th幕張のあと。

 今見返すと小恥ずかしくなるくらい青い文章(中の人のことらりちゃんって呼んでたんだ、今はどの女性に対しても伏字なのにな…)だけど、ここに推しを公言するまでの逡巡を超えた瞬間が詰まっている。

 


 「面白そう」だからシンデレラガールズに手を広げた僕と、「面白そう」がきっかけでアイドルになったひとりの「なんか生き様が似てる」キャラクターとの引っ張り合いの中に身を浸していたい。

 


 このとき抱いた感情は、完全に枯渇することはなくここまで来た。50分の1のペースで、良いことを受け止めて、飲み込んで、吐きたくなったら今みたいに文章を書いて。他の誰かと殴り合うのをやめて、概念とだけ殴り合うスタンスがこの日を機に始まった気がする。このあくまで一対一のスタンス、良いように見えてだいぶ危ない橋を渡っていた。

 解釈について意見を求めたくなっても、投げるボールは受け止めてくれた「気」になるしかない。50分の1をひとりで壁打ちしながら待つ作業は、子供の頃おじいちゃんが教えてくれた緑内障の症状のように視野を狭めていった。

 

 そんな日々が続いていたときにやってきた50分の1。それが「思い出じゃない今日を」。ロックでもなく、ポップなんてもんでもなく、ましてヒットの兆しの無い、ただ彼女の思いを走らせた、単純明快な「独白」

 

 ずっと近くにいたのにはじめて会話をしたような不思議な感覚に包まれて、たかがゲームと思って接していた概念に吐き気を催すほど泣かされたあと、無性に誰かと話したい、言葉を紡ぎたいという気持ちにさせられてしまった。ずっとボールを投げ続けるだけの概念とはじめて交わした「会話」の延長戦の如く、マイク越しのオタクを喜多見柚に見立てるかのように「あの日、あのとき、あんなこと」を話した。ひとりで向き合い続けた時間の総ざらいを夜中の2時まで受け止めてくれたオタク…いや友人がいることに気付いたのは、50分の1の中にあった大きな副産物だった。

 

 同担という概念を意図的に避けまくって、孤独なはずだった僕にも、こんなに好きを曝け出しても「大丈夫」だと思える人間が、身近にたくさん居る。それに気付かせてくれた存在に、いつか、何かを返したいという気持ちが芽生えていた。

 


 あまりにも一方的だけど、驕りに近いけれど、それを達成できたと感じているのはイベント「パ・リ・ラ」。50回に1回もあるかどうかという柚のいる新ユニットの楽曲。

 

 友人たちとの楽しい思い出を、忙しくなりつつあった仕事の予定をほんの少し犠牲にしてでも、アイコンにしている喜多見柚という存在をとにかく上に連れていきたい。引っ張られるだけの立ち位置から引っ張る位置へ、少しだけスタンスを変えた。


 ミリシタ、という名前のゲームの、とあるラウンジで出会った友人が、「担当のイベントで、自分の担当のアイコンが10傑(上位10人)に居ないのは悔しい」と言っていた。理解することを心の中で避けていたはずの彼の気持ちが分かる日が来てしまった。絶対に負けたくない、絶対に柚のアイコンを僕が残す。その気持ちが222時間のいちばんのエネルギーだった。

 

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 その先に掴んだ6位。彼女との因縁を作るきっかけになった総選挙と同じ数字。不思議な縁のある場所に彼女のアイコンを刻めた嬉しさもあるが、そのときの総選挙の彼女の順位は5位だったから、「喜多見柚という概念に、一生一歩先に行かれて勝てない」ことを暗示されている気がした。

 その証明が10th。両日チケットを持っていながら中止になった沖縄公演のやるせなさを超えた先に、「この日しか行けない」と参加したファイナル2日目に披露された50曲の1つが「パ・リ・ラ」。柚が、武田さんが歌うこの曲を聴いて、頑張った先に得られた特大のリターンにまた敗北を喫した。「always」という柚のはじまりの曲とともに、いつかのライブで得た「前からも後ろからもギュッとされて圧死する」感覚に襲われた。

 

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 そんな10thファイナル公演、喜多見柚というキャラクターに出会ってからの担当じゃない時間、担当になってからの時間でいちばん思い出深い瞬間を切り取ったこの日を超えてから、どうこのコンテンツに、喜多見柚というキャラクターに向き合うか困っていた。惰性でログインだけ続けているスターライトステージ、閉じていくことが決まったモバマス。もうひとりの担当、喜多日菜子は次のライブで見届けられることが決まっていたから、余計に「どうしよう」という気持ちが膨らんでいた。

 

 そんなところに投下されたのが今回の爆弾だった。今まで散々待ち焦がれた50分の1。そんなアニメでソロ曲がフィーチャーされる190分の1、そしてEVERLASTINGの歌い出しを担う3分の1。大学生のときに何度もハマった319分の1より遥かに薄い確率を引けた喜びが心にストックされ、僅かでも出来ることを続けよう、という気持ちに青い「進め」ランプを灯した。進んだ先には、手を伸ばして待っている彼女がいる。 

 


 cg_ootg2日目、ライブ後に発表された次回ライブの出演者の中に喜多見柚という文字を認めて、次の50分の1を無事に迎えられたらいいな、と考えている。

 

 最後に彼女の、一番好きな台詞を。

 

 伸びすぎてついていくのが厳しくなってきたけれど、どうにかついていけるように。

 

 いつか「あこがれ」と表現した彼女に対するこれからのスタンスは、こんな感じで。