ぴぃ・ダイアリー

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心が揺れた瞬間を、出来るだけ書き留めておきたい、そんな場所です。

一年を超えた「好き」に改めて向き合った一日 ~DIALOGUE+「puzzle」東京公演

 何かを「好き」というその熱量が、冷め切る前に1年が経過することはとても難しいことだけれど、その1年を超えれば、確実に自分の中で、揺るぎない気持ちが出来ているはず。

 

 気付けば長くオタクとしての生涯を送っている僕の実体験に基づいた持論がコレ。

 

 対象がコンテンツであれ、人であれ、キャラクターであれ、少なくとも一年間、何かを好きであり続けることができれば、自分なりの解釈やスタンス、それらが出来るまでの「物語」の3つが揃った状態になる。この物語というのは言い換えれば、この文章の"恥ずかしいのでそんなに読んで欲しくない箇所"にある「どうして、どのように好きになっていったのか」という過程。それを「推し」と呼んでいる概念に対しても当てはめていくアウトプットの作業のことである。

 

 今回、そんなアウトプットをしていくのはDIALOGUE+というグループに対して。実は今年の1月以降、そこそこの回数ライブに参加しておきながら、それぞれに対する気持ちの整理を書いては消し、書いては消しを繰り返して結局纏まらずにお蔵に閉じ込めていた気持ちを掘り返しつつ、今回のワンマンライブ「puzzle」についても触れていきたいと思う。

 

 

 DIALOGUE+というグループにはじめて勝負俵越しに向かい合い、張り手の一撃で国技館の枡席まで吹き飛ばされるような衝撃を受けた2021年4月。

 それからの10ヶ月はほぼ「コレが良い」「ココが好き」に終始した感想しかあげていなかったな、と僕自身も感じている。いや、それがファンとしては真っ当な在り方なんだろうけど、好きになった何かしらにコンプレックスを持っていないとどうやら落ち着かない性分、いわゆる"斜構"と呼ばれる人間にとってこれは大変珍しいことで。

 自分の心に波風がほとんど立たずに一年が過ぎていく推し概念なんて今までにあったかな?と平和なツラをしていた。

 

 そんな気持ちに、少しだけブレーキがかかったように感じたのが3月6日。11か月目。どうやら一年の壁は簡単には超えられないようだった。

 この日のライブ「タイバン」で不自然に途切れ途切れに聞こえる音、そして「ワンマン」直前の不参加のお知らせ。このグループを観に行って、開演の準備が整うと、とりあえずビール、と言わんばかりに必ず照準を合わせる存在である宮原さんがこのライブのステージにいなかった。

 推しと言えるべき存在がステージに居ない、どこを観ていれば良いのか分からないという感情と、居ない宮原さんが心配だという気持ち、それでもパフォーマンスを届けたい、という7人の熱量で披露される楽曲に正直に反応してしまう身体

 

 「箱でも推せる、推してる、と思っていたのに、推しが居なくなった箱の空虚さ」を仮想体験させられて居た堪れない気持ちになったこの日、はじめてDIALOGUE+に関わる事項に対して自問自答する機会が訪れ、明確な結論を出すことが出来なかった。出なかった設問は「どんなDIALOGUE+が好きか」という点。何度かグループをテーマにブログを書いたのにその観点は書いてないんだなと、ちょっとした自責の感情が芽生えた。

 

 4月の「タイマン」、5月のサンリオピューロランドでのライブではそのことを少し忘れて楽しんだが、急にそのことを思い出したのが6月。内山さんが活動をお休みされて以降、再燃した自責の念は無意識にグループの活動を追いたいという気持ちから僕を遠ざけていた。リマインダーをつけて観ていた動画は殆ど観なくなったし、LINE MUSICのキャンペーンはアプリのインストールすらしなかった。イベント事も何か不思議な力が働いているかのように遠ざかっていた。オンラインお話会は予定が重なって参加できなかったし、朗読「世界はこじつけでできている」は突如実家から呼び出され、チケットを持っていた夜の部の時間には火山灰で異様に視界の悪い土地の上空に居た。

 

 他の「好き」に対する"光"のような文章を産み出し続けているように見えて、裏でひっそりと育成されていた"闇"。それが表面化しなかったのは定期的に音を浴びるだけでも、と足を運んでいたからだと思う。隣で並んでいた坂道ファンのお兄さんたちに頭を下げて見届けたTIFメインステージ、オタクになったきっかけの作品の主題歌という最強の矛を持って襲い掛かってきたアニサマ。それらで浴びたDIALOGUE+の音は、3月に「一年を間近にして止まっていた」ように見えていた歯車が「鈍くなっているだけでしっかりと動いている」ことを実感させてくれた。鈍いながらも、現場に行くことで「好き」という気持ちの歯車を回し続けていた半年間。気付けば出会いから一年はとうに超え、次の一年も半分を過ぎようとしていた。

 

 10月9日、久しぶりに参加したワンマンライブ「puzzle」。

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 立川という土地に来るたびに降る雨は、鈍くなった歯車にさす潤滑油のような役割を果たしていたのかもしれない。

 そんな気持ちを呼び起こすくらい、この日のDIALOGUE+のライブは素晴らしいものだった。ステージに立ったのは6人。活動休止中の内山さんだけでなく、いつもダイナミックな動きと、アクセントのある声を振り撒いてステージを跳ね回っている緒方さんも居なかった。それでも6人で音楽を届けるという決意は、フラフラとした気持ちを抱えて会場にやってきた僕を漁師のモリのようにひと突きで仕留めた。それがこの日のトップバッター、「あやふわアスタリスク」。

 

 曖昧な現在の立ち位置を歌ったこの楽曲、この日このライブが始まる前の、楽しみだけれども、言語化しにくいモヤモヤの中にいた僕の状態をDIALOGUE+の既存曲で例えるならコレ、というベストアンサーを初手で叩き付けてきたのだからたまったもんじゃない。余計な感情を全て投げ捨て、この日この瞬間の、DIALOGUE+のライブを楽しむ顔付きが出来上がるまでに2秒とかからなかった。

 

 さて、ここからはライブ自体の感想。

 この日は席の位置の妙というべきか、今まで見たことのないような視点からDIALOGUE+のライブを味わった。正面から見ていたフォーメーションの変化を下手の端っこから観ると、「あ、この曲ってこんなに縦にも動いているんだ」とか「人と人の間を避けるように通り抜ける振り付け、簡単そうに見えて物凄い動いてるんだな」とか、今まで観てきたライブの思い出を頭の中から引き出して、円盤のマルチアングルの特典映像を見ているような気分になった。

 

 僕が宮原さんのライブパフォーマンスに惹かれたポイントのひとつに、奥行きのある動きというものがある。ステージを横幅いっぱいに使う動きが分かりやすく評価されるのが「ダンス」という営みだと勝手に思い込んでいるのだが、そこに縦の動きが入って立体的に見える感じ、と言えば良いのか。正面の画角からでも感じられるこの「好きポイント」は、横から観ることにより2倍にも3倍にも強調されていた。「恋は世界定理と共に」のCメロあたりの社交ダンスのような振りとか。ここ、振りコピして右手と左手をいい感じに重ねて一緒にダンスする幻覚を見るの楽しかった。

 

 この位置だから目に入ったという観点からすると、この日は稗田さんの日、と言っても過言では無いくらい際立っていた。一曲目の歌い出しは流石に目を向けちゃうよなぁ〜と思っていたら何度も何度も視線が向いてしまうこの感覚。「いや、俺は負けてないが……?!」と言い聞かせながらステージを見つめるのはいつ以来だっただろうか。熱を込めた歌っているときの表情や、客席に目を向けてウンウン、もっと来いもっと来いと煽るように頷く様子が好きだなぁ、と思った。演技の弱点(僕の秘孔、ツボみたいなもの)を突いてくる事務所がアイムエンタープライズなら、パフォーマンスの弱点を突いてくるのは81プロデュースなのかもしれない。

 

 次は楽曲について。

 直近で参加したのがフェスや対バンといった形式の、言うなればボールを投げていくつそのボールが投げ返されるか、こちら側はいくつそのボールを受け止めるかというライブばかりだったから、リリースが直近の「旬」だったり、いつも盛り上がる「熱量」が強い楽曲を多く聴いていた気がする。

 

 だからこそこの日の「うわ、めちゃくちゃ久々にこの曲聴いたよ......」という感覚が何度も襲ってくるという、「まとまった期間以上追っているグループのワンマンライブ」ならではの高揚感や余韻を味わう曲がいくつもあった。最初に触れた「あやふわアスタリスク」。イントロで前のめりになった「好きだよ、好き。」キュートさの詰まった「パンケーキいいな」、そしてこの夏、シーズンに一回も聴くことが出来なかった、ようやく打ちあがった「夏の花火と君と青」。リリース時期も、現地で聴いた回数もバラバラだけれど、どの楽曲もひとたび浴びれば「そうそう、それそれ」とクネクネ気持ち悪い動きをしながら聴き入ってしまうのは、僕にとってはDIALOGUE+の他にはBase Ball Bearくらいのものである。

 

 ただ、「少し離れていた」が故に、聴きこみが甘かった楽曲もあった。それが「シャーベットマーメイド」。右側から鳴っているギターのリフが先述のBase Ball Bearのせいでド性癖、みたいな感想メモを残した以来、指で数えられるほどの回数しか聴いていなかったこの楽曲、あまりにもDIALOGUE+の楽曲としてしっかりと馴染んでいて、ホントに初めてなのこれ?と思ってしまった。これから回数をこなしてどう育つかを何様目線で見つめていくことになる予感がした。

 

 歌唱についても、普段の8人とも、ツアーとしても大阪の7人と違うパート分けとなってとても難しく、負担も、それ以外の言語化しにくい、ステージの上の人たちにしかわからない重みもあったはず。空いた空白をどのような形で埋めるか、六人六色のパートの魅せ方がステージ上にあって、リスナーである僕は「あ、このパートはこの人が歌うんだ」「このパート、この人が歌うと何か(面白いな、という意味で)違って見えるな」と感じさせてくれた。昔、アイドルを推していたとき、卒業したメンバーのパートを誰が歌うか、というワクワク感にどこか似ているような感覚がそこにあった。

 

 ただ、そのワクワク感とも全く異なる感情もあって。

 

 どこの箇所、とは明確に思い出せないのがオタクとして弱いところなのだが、宮原さんの内山さんに寄せているような歌い方をした箇所があり、ふと空白に目を向けてしまう瞬間があった。これは過去の自分には全く無かった振る舞いであり、そのときに、改めてパフォーマンスだけでなく、あくまで声で魅せられる強みを持った人たちが集まったグループであることを強く感じた。

 

 新しい発見と、追いはじめて1年を超えてようやく感じるようになった懐かしさと、少しの寂しさを孕んだこの一日。落ちていた、いやどちらかと言えば勝手に落としていたグループに対する好きの気持ちの歯車に油を多量に注ぎこんできた。内山さんからのメッセージを聴きながらちょっと滲みかけた目はその油の量のメタファーなんだろうな、と感じている。

 

 「ダイアローグ+インビテーション」。

 3月6日、少し自棄になりながら空白のパートで飛んでいたこの曲の、この日の空白となったパートを歌う6人の姿が少し日にちの空いた今でも思い出せる。

 

 「どんなDIALOGUE+が好きか」という、問いに対して。

 「やれるときに、やれることを全力で披露してくれるこのグループが好き。」

 

 いまならそう答えられる、そんな気がしている。