ぴぃ・ダイアリー

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心が揺れた瞬間を、出来るだけ書き留めておきたい、そんな場所です。

Forever,Forgive,(never)Forget ~「CUE!」4th Party 「Forever Friends」

・「Forever」

 

 この単語が、概念が苦手だった。


 きっかけははっきりと思い出せないけれど、中学生のときには英作文を作るときから意図的にこの単語を敬遠していたことは覚えているから、この拗らせが相当根強く重症であることは強く実感している。

 

 永遠という単語の曖昧なくせに、他に何も例える言葉がない絶対的なパワー

 ONE PIECENARUTOも「面白くないなぁ……」と読み飛ばし、BLEACHしか読んでいなかった若かりし僕の拗れた心の中の藍染惣右介が「あまり強い言葉を使うなよ……」とストップをかけたとしても仕方がないと思う。

 

 だからこそ「Forever Friends」という楽曲を引っ提げて、大切にしてきた「CUE!」というコンテンツの水が合ったのは、自分でも意外だったな、と感じている。

 

 11月19日、その「CUE!」のラストライブ「Forever Friends」が開催された。

 

 好きになった概念は数多くあれど、その「好き」がちょっと「LOVE」や「LIKE」の一言でまとめられないくらい陰陽織り交ぜた複雑な闇鍋感情になって、ある程度自分の中に染み付いたコンテンツの「終わり」をリアルタイムで見届ける経験は無かったから、この気持ちがどう消化されるのかを、宣告された7月からずっと想像していた気がする。

 

 実際にその日を迎え、その終わりの中に身を浸さないとわからなかったことや、得られなかった感情がそこにはあった。

 「LIVE IN LIVE」

 とあるバンドのツアータイトルで用いられた造語だが、「ライブの中に生きる」とはよく言ったもので、この日このシチュエーションで、僕じゃないと得られない感情があることを強く実感した一日のこと。

 型通りのライブ・レポートではなくて、自分の気持ちに焦点を当てて書いていこうと思う。

 

・「引き算」

 

 数多くの概念を好きになり、自己紹介カードの「手札」が増えてきた2022年。

 ただ、手札が増えたということは、手から溢れていくカードが必ずある、ということである。たとえそのカードが長い時間Tier1に君臨し続けてきたものだとしても、時間が経てば手から離れていく。2月にとある大きな手札を捨ててから、そんなことを考えるようになった。

 

 そして7月、「CUE!」というカードも手札から外さざるを得ないことになる。この「引き算」の辛さ、2月との圧倒的な違いはその「満たされなさ」にあった。コンテンツの進みたい道と、僕がコンテンツに進んで欲しかった道との隔たりを目の当たりにし、納得して手札から落とした2月の出来事とは違った哀愁があった。

 

・「薄くなる」

 

 「今日は人生で最後の「薄いほう」を振る日になる」

 この日、会場に向かう道を歩きながら、こんな感慨に浸っていた。

 

 「中の人の推しと、キャラクターの推しが、一致するわけではない」

 何かのコンテンツをそれなりに並行して追っている人なら、僕のこの感覚に心当たりがあるかもしれない。言い換えれば「この人が”このキャラクター”を演じているときは、中の人の推しが居ても目を奪われてしまう、絶対に勝てない」という立ち位置のキャストが存在する、ということ。

 

 CUE!というコンテンツにおいて、六石陽菜役、内山悠里菜さんが僕にとってその位置に当てはまる。

 

 陽菜というキャラクターとの出会いが引き金となり、その派生として「CUE!のリアルイベントを体験する前に」ふらりと立ち寄ったのがDIALOGUE+。そこでパフォーマンスにギュッと吸い込まれたのが「濃いほう」宮原颯希さん。という時系列で触れたが故にこの歪な気持ちが存在している。

 

 陽菜というキャラクターを演じているときの内山さんの声、演技、ライブのときの振る舞いは、CUE!という「コンテンツの中の世界」と現実の境目を曖昧にして浸るためには、僕にとって不可欠な要素だった。

 

 10月、DIALOGUE+「puzzle」東京公演。

 濃いピンクのTシャツを纏いながら、久々に内山さんの姿を映像で観たとき。

 そして本人のTwitterアカウントから「11月19日は、出演する予定です」という報告がされたとき。

 

 六石陽菜というキャラクターを介してCUE!という作品を最後の瞬間も享受できそううだ、という事実で、ようやくコンテンツの終わりを真正面から受け止める覚悟が完了したような気がしている。

 

・「橋渡し」

 

 ついに迎えたこの日、会場に着き、何人かの友人と顔を合わせた。

 先に触れた「手札から溢れた」コンテンツをきっかけに知り合ったはずの一人に渡した1枚のCD。それをきっかけにこの「CUE!」というコンテンツの最後の晴れ舞台を共に見届けられる繋がりが出来ていたことに、軽い冗談を挟んだ会話の裏側で、ちょっと感慨深くなりながら入場した。

 

 1曲目の「はじまりの鐘の音が鳴り響く空」から、本編最後の「ミライキャンバス」まで、すべての曲が、内山さんの一挙手一投足、一発声がじわじわと涙腺を刺激してくる。

 アンコールの「Forever Friends」まで、今までこのコンテンツのライブでは体を大きく動かして楽しんできたのに、いつもは持たないペンライトを持って、いつもより控えめな振りしか出来なかったくらい、ひとつひとつの曲の重みを、「これが最後だ」という重みを肩に感じながらあっという間の2時間半。ずしりと重たい肩を、まるで引退試合を迎える投手のように振り上げ、薄いピンクに光らせたペンライトを掲げ、手を振って会場を後にした。

 終演後、友人たちを待つ一人の時間。頭の中でさまざまな思い出が巡っていた。死ぬ前の走馬灯は一生分の記憶を巡らせるとはよく聞く話だが、それを仮想体験するようなだいたい5分間。

 

 ほかのゲームをプレイしながら参加していた通話で不意に耳に入った楽曲、

 ある野球選手と同じ名前のペットがいるから、という理由で推しはじめ、

 たまたま徒歩5分圏内にコンテンツを知っている知り合いに恵まれ、

 はじめて触れた「配信ライブ」という文化。

 上京し、「この人たち、知ってる!」というノリと勢いで飛び込んだDIALOGUE+、

 アプリのサービス停止、

 お盆の帰省の予定を取り下げて参加した2nd Party、

 いろいろ思うところはあったアニメ展開、

 世界観の掘り下げを楽しんだリーディングライブ。

 

 九州の端っこでほんの少しの情報だけをかき集めていた時期、そして上京してからの一年と半年、熱を持って接していて、今は前線から足を洗ったいくつかのコンテンツと、今掘り下げている「新しい好き」との間で、アプリの停止という冷や水を浴びながらも、平熱を保ちながら好きで居続けたCUE!。このコンテンツが果たした、「壮大な橋渡し」の、何一つ欠けても、今の自分は形作られない。会場を出てから手元に残った感慨と、友人たちが拾って持ってきてくれた手元の銀テープがそのことの何よりの証左だった。

 

・「Forever Friends」

 

 好きになれなかった「永遠」という概念を、あろうことか思い切り振りかざして襲い掛かってきたコンテンツとのおよそ2年とちょっとの付き合いの幕が下りて、少し時間が経った今。

 今回のパンフレットをパラパラとめくっていると、今までのライブや、朗読劇に行くたびに買ってきたパンフレットにはない、「ここまで一緒に歩んできたキャラクター、コンテンツ、仲間」に対する、少し読み手の悲壮な気持ちを掻き立てる項目があった。その質問に対して「これから」のことをキャストの皆さんは回答していた。

 

 「永遠」とは、確定していない未来に対して、「わからない」と切り捨てるだけでなく、「こうなってほしい」と想像する余地も含んでいる。

 それならば、僕だって何度も想像してきたことだから、既に「永遠」という概念は受け入れられるようになっている。そんな気付きを得た。

 

 「○○が無くなっても、私の中で一生生き続ける」

 

 「永遠」という概念を想像したときに一番最初に浮かんできたこの台詞を、いずれ僕が言える日が来る......かは分からない(多分言わない)が、CUE!の中のキャラクターが、どういう歩みをしているのだろうか、と少し想像する、そんな「永遠」くらいなら、自分に許してもいいんじゃないか。

 それと、コンテンツを通して広がった人の繋がり、橋渡しの先に出会った、新しい「好き」。これもどこまで続くかはわからないけれど、一旦は、「永遠」にカウントしていいんじゃないかな、とぼんやり思っている。

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 あらためて、CUE!との出会い、終わりまで見届けられた幸運に感謝を。