ぴぃ・ダイアリー

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心が揺れた瞬間を、出来るだけ書き留めておきたい、そんな場所です。

The heart without "Training wheels"

*やるせない気持ちを表に出さずにいたらパンクしてしまうのでこの場があります。

 

 というわけで普段、表には出さないことをバンバン書いていく闇の回。今の自分を形成する上では欠かせない概念が手から離れて行きそう、という話をしていこうと思う。

 

 CUE!、そしてモバマス。

 課金額や順位とかいう可視化出来る「コレだけやった」という指標は伴わないけれど、そのくせに奥底に染み付くような思い出を残した、終わりが見えているコンテンツに対して思うことを書いていく。

 

 

・CUE!


 僅かな望みまで断たれてしまった。


 CUE!のサービス再開の断念、その一報を聞いたのは電車の中だった。吊革を握っていた手から握力が抜け落ちて、背を扉に預けて、大きなため息をついた。

 

 2020年、先行きの見えない日々が続くなかで不意に出会ったコンテンツ。

 好きな野球選手と同じ名前のついた生き物を飼っているから、というとんでもなく突飛な理由で推しを決めた、あまりにも適当すぎる入り口の人間には見合わないほど沢山のリターンを貰ってきた。

 

 楽曲、ストーリー、世界観、ライブ、癖に刺さる「時間の流れ」がテーマに据えられたような展開。

 

 何よりいちばん大きかったのはコンテンツという器を「好き」と明言出来る感覚をミリオンライブ以来に味わえたことである。もちろん盲目的な、「アイマス最高!」とライブの後に高らかに声を上げる30代前後異常独身男性的な思考ではなく、はしゃぐ子供が頬にソースを付けていたら「もう、しょうがないんだから」と拭ってあげるような温度感。そんな目線で見守っていた。

 

 だからこそ、それなりに遊べるくらいのカードプールと、ゲームの知識を揃えた矢先に飛び込んできたサービス停止の一報は、手紙の結びの一節で気付いた誤字のように小さく、しかし暫くは引きずってしまう痛みを残した。

 

 手紙に小さな誤字を認めたあとの書き手の反応というのは、相場が決まっている。

 

 まずはそのままどうにか直そうとして、結局は新しく書き直す、というのがそれである。サービス停止のあとのCUE!の進み方はまさに同じようであった。キャラクターの生きる世界にも、時間が存在していることを想起させる催しをしたと思えば、放送開始したテレビアニメでは、流れたはずの時間は置き去りにされていてしまっていて。「僕の中ではこう」と定まったキャラクター観や世界観を少しでも進めて欲しいという気持ちと、か細くなってしまった供給とのすれ違いが、手放したコンテンツ(まぁ言わないでもわかるでしょうけど、アレのことです。)にあるデジャヴを誘ってきて、苦しい気持ちに何度となった。

 

 そんなモヤモヤを抱えながら参加した3rd partyでは「start a new line」、「改行」と銘打ったライブで先に述べた「推し」である六石陽菜を、彼女を演じる内山さんを見届けた。気持ちの切り替えには充分だった。切り替えられずに追うことを放棄した過去の自分へのアンチテーゼ2割、どう転んでも、どんな描かれ方でも六石陽菜というキャラクターが好きだと気付いた気持ち7割、その他1割。テレビアニメが終わってからの展開がどうなるかはわからないけれど、手の届く範囲はこれからも拾っていこうと思えた時間だった。

 

 それから2ヶ月と少し。

 拾えるものすら僅かだという宣告がなされてから、あっという間に1ヶ月が過ぎようとしている。この間、作中のチーム、Birdのリーディングライブが開催された。

 「キャラクターの好き=中の人好きという構図が成り立たないコンテンツ」でもあったCUE!で、はじめて集中して「中の人の好き」のほう、赤川千紗というキャラクターを演じる宮原さんを観た体験。今までのCUE!のイベントとは少し違った視点ー世界観、キャラクター観を控えめに、演じる姿をいつもより強めに焼き付けてーで楽しんだ。と、同時に、こんな機会はもう訪れることはないという喪失感が込み上げてきた。きっと最後は、六石陽菜を、それを演じる内山さんを見てしまうから。

 

 この日の台本に目を落とす宮原さんの姿を頭の中で反芻させながら、このコンテンツでしか味わえない葛藤に身を預けていた。

 

 Xデーまで、あと少し。

 後継が決まっていたあの頃の「終わり」とは違う、絶対的な「終わり」を味わう先の未来の僕が、少しでも前を向いていられるよう、最後の覚悟を決める過程をここに置いておく。

 


・モバマス

 

 大政奉還の報せを聞いた当時の人間の気持ちを仮想体験するような気持ちにさせられたのがこの一報。緩やかに死が近づいていることは分かっていたとはいえ、実際に銃口を突き付けられるとお話は変わってくるらしい。

 

 10年の歴史のなかで意識して触った期間は合わせて3ヶ月あるかないか、という典型的な「アイドルマスターシンデレラガールズ、デレステしかやっていない」タイプの人間である僕なのだが、その3ヶ月が無ければ、ミリオンライブに蓋をしたあの日、蓋をされたのは「ミリオンライブ」ではなく「アイドルマスター」だったと思っている。

 

 まずは2021年7月。このゲームで唯一、2000位以内に入れたら貰える上位報酬のカード目当てで走った「LIVEツアーカーニバル 友星公演 ~夢とあなたと芽吹くタネ~」。喜多日菜子というキャラクターが主役でないと成立しないストーリー。この期間だけは確実に、彼女はこの前時代的なシステムのゲームの主人公であった、と思えるような一週間だった。

 

 そして数年前、第6回シンデレラガール総選挙。

 「なんかお隣が面白そうなことやってるらしいし、なんか声とか付くらしいよ〜」という、今の身内数人にタコ殴りにされそうな理由で適当に票を入れて、負けた第5回。

 

 当時は「まぁ、こんなもんか」とドライに受け入れていたが、一年が経つと日に日に「なんか負けたままなのは嫌だし、少しくらいやるだけのことやってみるか」と票をかき集め、その月のバイト代の半分を突っ込み。その年の第5位にランクインした「喜多見柚」という文字を認めたとき……は意外とあっさり「お、やったね♪」くらいの気持ちだったのだが、その後に登場したカード「シトロンデイズ」で、彼女のボイスを初めて聴いたとき、スマートフォンを握っている手が拍動よりも明らかに早く震えていたことを覚えている。

 

 この当時は柚に対しては「担当」という気持ちはなく、「まぁ、好きかな」くらいの立ち位置で、彼女の出てくるシナリオも網羅しているわけでは無かった。それでも込み上げてくる感慨は今まで惰性で触れていたアイドルマスターに対して抱いたことのないものであった。この半年後くらいにシンデレラガールズと一時決別するのだが、約一年後、じっくりと新たな歩みを始めたとき、リスポーン地点には紛れもなく、喜多見柚という存在を携えていた。

 

 今の僕は、モバマスというゲームは全く触っていないし、もしかしたらサービスが終わるその瞬間まで、全く触ることが無いかもしれない。

 ただ、ほんの少しの時間、じっくり向き合ったこの2つの出来事は、間違いなくコンテンツの端を掴み続ける要因になっている。

 

 CUE!、そしてモバマス。


 自分なりの距離感や付き合い方、世界観が固まって、忘れかけていたときに記憶を呼び起こしては自分の青さに身悶えしてしまいそうになる2つの概念。それらが失われると聞いて、「新しい好きの受け入れ態勢」に慣れつつあった心にブレーキがかかり、地面と車輪の摩擦で出来た文章がコレ。何かを書くことは、どうやら受け入れがたい状況に直面したときの防衛機制になっているようで。


 この文章を書くために意外と昔から残していた自分の気持ちのログを覗いてみたら、

 

「声優の名前、長くね?」

 

 という一節があって、思わず吹き出してしまった。察しの良い方なら分かるでしょう。武田羅梨沙多胡さんのことです。


 はじめて味わった感慨の隅っこにポツンと置かれた気持ち。その一節のあとには、「なんかピッタリな気がする」と続いていた。この「なんか名前長いけど、スッとハマった演技の持ち主」にこのあと何度も心をズタボロにされることになる。CUE!で出会った内山さんもそう。

 

 そしてこのふたりとの出会いは、今の好きに繋がっている。内山さんが陽菜を演じていなかったら、DIALOGUE+を観に行く決断も、宮原さんのパフォーマンスに出会うことも無かったし、武田さんが柚を演じていなかったら、大阪のイベントに行くことも、篠原侑さんという新しい沼に落ちる事も無かった。


 ふとしたきっかけで触れて、出会ったコンテンツの好きなキャラクターの「代弁者」ともいえる存在に非常に恵まれていて、その出会いが新たな出会いを産んで、かけがえのない好きに辿り着く。まもなく展開が閉じてしまう、というマイナス以外にもこの二つのコンテンツに共通しているポイントに、改めて気づくことになった。

 

 当然、触れられなかった時間や味わえなかった世界に後悔がない、と言ったら嘘になる。六石陽菜以外のストーリーは断片のような記憶しか無いし、喜多見柚のユニット、フリルドスクエアのイベントは億劫になって走るのを途中でやめてしまった。プレイヤーとしては言及するのを憚られるくらいの浅さがある。

 

 ただ、それでも「大好きになる過程」がたくさん詰まっていて、今まで繋がっている場所が消えることがとても惜しい。という気持ちを置いておきたかった。

 言ってしまえば、新しい何かに出会うための補助輪のような役割を果たしてくれた2つのコンテンツ。

 すいすいと心の赴くままに走ることが出来ている今のうちに、いつか転んだときの自分が、補助輪の存在を思い出せるようにこの記録を残しておく。

 

 

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