新たな夏のアンセム、Base Ball Bear「プールサイダー」を読み解いてみた。
アローラ!
ぴぃ高と申します。
今年も夏真っ盛りといったところでしょうか。え?もう9月?まぁええやろ()
一人暮らしビギナーの自分にとっては夏になってどれくらい電気代が嵩んでくるのか、ビクビクしております。
さて、皆さんにとって、「夏になると聴きたくなる曲」はなんですか?
のような、夏の夕暮れを思わせる切ないサウンドであったり、
NONA REEVES 「透明ガール」や
のような、眩しい海の風景を思わせるサウンドもあり、
aiko「花火」や、
DIALOGUE+「夏の花火と君と青」のような、花火とか、浴衣と言った特定のアイコンを思い浮かべる曲もあると思います。
最後は自分の趣味が入りましたが、ここから先はもっと趣味が入るのでそこは置いておいて。
この「夏」をテーマにした楽曲を量産している、「TUBEとサザンの次に夏の曲が多い」と自分から言い出す、そんなロックバンドが新たな切り口で「夏の曲」をリリースしました。
え?そんなロックバンドがあるの?名前を知りたい?教えて!曲名は何?彼女はいる?
そんな皆さんために教えてあげましょう。新たな夏のアンセムはこちら!
Base Ball Bear 「プールサイダー」
Base Ball Bear - プールサイダー - YouTube
ようやくタイトルに辿り着きました。長かった。
僕の記事を何度か読んでくださっている心あたたかな皆さんの脳裏にはそろそろ刻み込まれたであろうバンド、Base Ball Bearにより6月30日に配信リリースされたのがこの楽曲。
この楽曲について言葉を尽くして行きたいと思います。
1.プールサイダーというタイトルに仕組まれた違和感
まず言及したいのはこのタイトル。
学生時代に国語を真面目に勉強していた人ならちょっとした違和感を覚えたかもしれません。僕ですか?僕は違和感ビンビンでした。
この違和感の正体は「プール」と「サイダー」という夏の「季語」が連なることによる「季重なり」にあります。
季重なりというのは、俳句におけるタブーの1つであり、俳句の中に季節を表す「季語」が複数含まれていることを指します。季重なりがNGとされる理由は以下に。
俳句は季語を1つにするのが基本であり、季重なりは避けるべきことと言われています。 季語が2つあるというのは、例えば、カレーとケーキを同時に食べるようなもので、それぞれの持ち味がぶつかって、双方を殺してしまうケースが多いのです。
(日本俳句研究会より引用)
おそらく「俳句を詠んでみよう!」というコンセプトの授業でこの「季重なり」は真っ先にNGとされるため、日本人の感覚的に避けてしまうからか、邦楽のタイトルでも季語を2つ以上使ったものは少ないのではないでしょうか。
それに対し、「プール」と「サイダー」を並べたこのタイトルの意図は何なのか。
ここには敬愛すべきライター、小出祐介による罠が仕組まれていました。
ズバリ、この「サイダー」は「飲み物ではない」のです。
「プール」の「サイド」にいる「er」、つまり
「プールサイドにいる見学者」や、それと似た状況にある人のことを指している、というのがこのタイトルに込められた意味となっているのです。
季重なりの違和感や、ふたつの言葉から連想されるみずみずしさを離れ、プールサイドに佇む「楽しさを享受できない、楽しさに飛び込めないもどかしさ」を抱える人々の存在がこのタイトルの真意であり、彼らがどう思っているのか、どう動きたいと考えているのか、想像しながら楽曲を読み解いていくと得られる気づきがあると思います。
2.きらきらという抽象物
この楽曲においてもっとも抽象的かつ、リスナーに想像しやすい表現がサビに出てくる「きらきら」という表現である、といえるのではないかと思います。
「きらきら」という言葉についても、タイトルと同様に視座によっては広く解釈できる表現であると考えられます。
「きらきら」をテーマに連想ゲームをしてみると、真っ先に浮かぶのは「眩しい」という表現なのではないでしょうか。
その「眩しい」という感情が行きつく先が明言されていない、恐怖かもしれないし、希望かもしれない、それでも(以前とは違って)飛び込んでみようぜ、というのがこの曲で語られている大まかな、表面的な内容です。
この「眩しさ」の対象が明言されていないことがキーポイントです。
例えば「キラキラ」と「眩しい」が同居している歌詞のひとつであるmiwaの「ミラクル」という楽曲。この楽曲は「キラキラあなたが眩しくて」と歌うことにより、きらきらの対象が「あなた」であることを示し、前後の歌詞と相まって「眩しさ」の行きつく先がぼんやりと希望であることを示している、と思います。
対して「プールサイダー」はこの対象の明示や暗示がなく、抽象の先でリスナーが思い浮かべた「具体的なもの」に飛び込んでいこう、というメッセージを秘めている、と考えられます。
ちなみに小出氏は「SCHOOL GIRL FANTASY」という楽曲においても「キラキラに飛び込みたい」という歌詞を書いていますが、この「キラキラ」についても対象は「あの」「何か」「誰か」とぼやけた表現をしています。前科持ちと言って差し支えないでしょう。
3.飛沫の祝福というフレーズと「スイミング・ガール」
この「きらきら」が必ずしも「希望や期待」の象徴ではないのではないか、と読み取れる理由、それがこの「飛沫の祝福」というフレーズにあります。それはなぜか。こちらのプレイリストにあるインタビュー記事から読み解いていきます。
このインタビューで語られているのは、「プールサイダー」に対して抱いたインタビュアーの違和感とそれに対する小出氏の回答です。ここで「飛沫の祝福」というワードについて言及がなされました。
最もわかりやすいところで言えば、歌詞の中に出てくる「飛沫(しぶき)」がリスナーの頭の中で「飛沫(ひまつ」に変換することもできるだろうし。
小出 さすが、鋭いですね。当然、意図的に書いてない部分もあるわけですよ。それはさっき言った話と一緒で、僕だろうが、おそらく椎名(林檎)さんや、星野(源)さんでも、もちろん他の人たちもそうかもしれないけど、あきらかに怒ってたり、悲しんだりすることがまずあるわけですよ。で、そこに対するプロテストはいくらでも持ってます。いくらでも持ってるんですけど、自分の音楽に対するアプローチとしては、その真反対を描くことになってくるということですかね。つまり、「それがある」ということを言うために、真反対のことを描いているとも言える。それを描く舞台設定としてプールであり、そこに付帯する自分の記憶がフィットした?
小出 という側面もあると思いますね。
──「飛沫(しぶき)」と「飛沫(ひまつ)」の対比からこの歌を書くことが始まったんじゃないかと想像してるんですけど。
小出 まぁ、〈飛沫(しぶき)の祝福を〉が本当に祝福なのかどうかは捉え方次第ですから。
このインタビューでは、コロナウイルスが流行し、アーティストとしての活動が自由にできなくなった期間のお話から発展しており、インタビュアーからの歌詞にダブルミーニングのような仕掛けがされているのではないだろうか、というところで「飛沫」という漢字がプール、いわゆる未知なるところに飛び込んでいく際のエフェクトだけという意味だけでないのではなく、ウイルスのように蔓延していく不安のようなものを指しているのではないか、という指摘が見受けられます。
この解釈に対して小出氏が「捉え方次第」としているのはこの「飛沫の祝福」というフレーズが”初出”ではないということがあります。アルバム「C」収録の「スイミングガール」という楽曲がそれにあたるのですが、2009年からこのフレーズが存在していており、プールに合わせて引っ張ってきた、過去の記憶の象徴として掘り返したフレーズとも考えられます。
この楽曲「スイミングガール」においても、飛沫が明確に何を指すのかというのが不明瞭なところがあります。過去の楽曲のオマージュから考えられること、現代にフレーズを置き換えて考えられること、解釈が多様にも、幾重にも変化するところだと思います。
4.No time to die という言葉
この楽曲の最後のフレーズであるのがこの「No time to die」という言葉。直訳すると「死んでたまるか」みたいな感じでしょうか。
このフレーズ、全ての「まとめ」としてこれ以上ないと思います。「死にたくない」の理由も多様な解釈が可能である、というのがその理由です。
時勢に巻き込まれて「死ぬ」(死ぬまではいかずとも「腐る」)ことへの恐怖、何もやらずに後悔することがないように挑戦したいという決意、どちらとも取れます。
これは想像に過ぎないのですが小出氏は映画好きということもあります。
何故映画の話をしたのか、というとこのフレーズ、「007」シリーズの新作のサブタイトルとなっているんです。
この新作への期待みたいなところもあるんじゃないかな、とか、主演のダニエル・クレイグが「最後」と明言していることへのリスペクトがあるんじゃないか、とかここにも想像の余地があります。
もしかしたらこの映画も「エンターテイメントの延期」を受けているので、同じクリエイターであるからこそ感じる「怒り」の側面もあるのかもしれません。
5.「プールサイダー」が新たな夏のアンセムたる理由
ここまでいくつかのトピックについて触れてきたまとめとなります。
この楽曲「プールサイダー」の最大の魅力としては「曖昧さを孕んだ爽やかさ」を持っていることにあります。
歌詞の内容の解釈が多様になる曖昧さ、歪みや、繰り返しを感じられるメロディーを持ちながらも全体的に爽やかに仕上げる小出氏のセンスには頭が上がりません。
少し脱線しますが、小出氏はこのような「変わった夏」を書くことについては天賦の才があると考えています。「PERFECT BLUE」のような「居なくなった(飛び降りた)少女の残り香で夏を感じる」曲とかマジで変態にしか書けんと思う。
これからの時勢、「不安を持ったまま行動する」ことが増えてくるなか、今までの「夏のアンセム」に歌われるような体験は出来ないかもしれません。歌のテーマにある花火や海水浴、浴衣と言った「アイコン」はもう見ることができないかもしれません。クリエイター側も、我々享受する側も、この喪失体験ははじめてです。
そのような状況に「飛び込む」ことを提案することができる楽曲である、これこそが僕の考える「プールサイダー」という楽曲が新たな夏のアンセムたる理由です。
9月にライブがあるので非常に楽しみです。一般チケット枯れる前にこの記事書けば良かった… 感想書くので次はそのときにお会いしましょう。
ぴぃ高