The heart without "Training wheels"
*やるせない気持ちを表に出さずにいたらパンクしてしまうのでこの場があります。
というわけで普段、表には出さないことをバンバン書いていく闇の回。今の自分を形成する上では欠かせない概念が手から離れて行きそう、という話をしていこうと思う。
CUE!、そしてモバマス。
課金額や順位とかいう可視化出来る「コレだけやった」という指標は伴わないけれど、そのくせに奥底に染み付くような思い出を残した、終わりが見えているコンテンツに対して思うことを書いていく。
・CUE!
僅かな望みまで断たれてしまった。
CUE!のサービス再開の断念、その一報を聞いたのは電車の中だった。吊革を握っていた手から握力が抜け落ちて、背を扉に預けて、大きなため息をついた。
2020年、先行きの見えない日々が続くなかで不意に出会ったコンテンツ。
好きな野球選手と同じ名前のついた生き物を飼っているから、というとんでもなく突飛な理由で推しを決めた、あまりにも適当すぎる入り口の人間には見合わないほど沢山のリターンを貰ってきた。
楽曲、ストーリー、世界観、ライブ、癖に刺さる「時間の流れ」がテーマに据えられたような展開。
何よりいちばん大きかったのはコンテンツという器を「好き」と明言出来る感覚をミリオンライブ以来に味わえたことである。もちろん盲目的な、「アイマス最高!」とライブの後に高らかに声を上げる30代前後異常独身男性的な思考ではなく、はしゃぐ子供が頬にソースを付けていたら「もう、しょうがないんだから」と拭ってあげるような温度感。そんな目線で見守っていた。
だからこそ、それなりに遊べるくらいのカードプールと、ゲームの知識を揃えた矢先に飛び込んできたサービス停止の一報は、手紙の結びの一節で気付いた誤字のように小さく、しかし暫くは引きずってしまう痛みを残した。
手紙に小さな誤字を認めたあとの書き手の反応というのは、相場が決まっている。
まずはそのままどうにか直そうとして、結局は新しく書き直す、というのがそれである。サービス停止のあとのCUE!の進み方はまさに同じようであった。キャラクターの生きる世界にも、時間が存在していることを想起させる催しをしたと思えば、放送開始したテレビアニメでは、流れたはずの時間は置き去りにされていてしまっていて。「僕の中ではこう」と定まったキャラクター観や世界観を少しでも進めて欲しいという気持ちと、か細くなってしまった供給とのすれ違いが、手放したコンテンツ(まぁ言わないでもわかるでしょうけど、アレのことです。)にあるデジャヴを誘ってきて、苦しい気持ちに何度となった。
そんなモヤモヤを抱えながら参加した3rd partyでは「start a new line」、「改行」と銘打ったライブで先に述べた「推し」である六石陽菜を、彼女を演じる内山さんを見届けた。気持ちの切り替えには充分だった。切り替えられずに追うことを放棄した過去の自分へのアンチテーゼ2割、どう転んでも、どんな描かれ方でも六石陽菜というキャラクターが好きだと気付いた気持ち7割、その他1割。テレビアニメが終わってからの展開がどうなるかはわからないけれど、手の届く範囲はこれからも拾っていこうと思えた時間だった。
それから2ヶ月と少し。
拾えるものすら僅かだという宣告がなされてから、あっという間に1ヶ月が過ぎようとしている。この間、作中のチーム、Birdのリーディングライブが開催された。
「キャラクターの好き=中の人好きという構図が成り立たないコンテンツ」でもあったCUE!で、はじめて集中して「中の人の好き」のほう、赤川千紗というキャラクターを演じる宮原さんを観た体験。今までのCUE!のイベントとは少し違った視点ー世界観、キャラクター観を控えめに、演じる姿をいつもより強めに焼き付けてーで楽しんだ。と、同時に、こんな機会はもう訪れることはないという喪失感が込み上げてきた。きっと最後は、六石陽菜を、それを演じる内山さんを見てしまうから。
この日の台本に目を落とす宮原さんの姿を頭の中で反芻させながら、このコンテンツでしか味わえない葛藤に身を預けていた。
Xデーまで、あと少し。
後継が決まっていたあの頃の「終わり」とは違う、絶対的な「終わり」を味わう先の未来の僕が、少しでも前を向いていられるよう、最後の覚悟を決める過程をここに置いておく。
・モバマス
大政奉還の報せを聞いた当時の人間の気持ちを仮想体験するような気持ちにさせられたのがこの一報。緩やかに死が近づいていることは分かっていたとはいえ、実際に銃口を突き付けられるとお話は変わってくるらしい。
10年の歴史のなかで意識して触った期間は合わせて3ヶ月あるかないか、という典型的な「アイドルマスターシンデレラガールズ、デレステしかやっていない」タイプの人間である僕なのだが、その3ヶ月が無ければ、ミリオンライブに蓋をしたあの日、蓋をされたのは「ミリオンライブ」ではなく「アイドルマスター」だったと思っている。
まずは2021年7月。このゲームで唯一、2000位以内に入れたら貰える上位報酬のカード目当てで走った「LIVEツアーカーニバル 友星公演 ~夢とあなたと芽吹くタネ~」。喜多日菜子というキャラクターが主役でないと成立しないストーリー。この期間だけは確実に、彼女はこの前時代的なシステムのゲームの主人公であった、と思えるような一週間だった。
そして数年前、第6回シンデレラガール総選挙。
「なんかお隣が面白そうなことやってるらしいし、なんか声とか付くらしいよ〜」という、今の身内数人にタコ殴りにされそうな理由で適当に票を入れて、負けた第5回。
当時は「まぁ、こんなもんか」とドライに受け入れていたが、一年が経つと日に日に「なんか負けたままなのは嫌だし、少しくらいやるだけのことやってみるか」と票をかき集め、その月のバイト代の半分を突っ込み。その年の第5位にランクインした「喜多見柚」という文字を認めたとき……は意外とあっさり「お、やったね♪」くらいの気持ちだったのだが、その後に登場したカード「シトロンデイズ」で、彼女のボイスを初めて聴いたとき、スマートフォンを握っている手が拍動よりも明らかに早く震えていたことを覚えている。
この当時は柚に対しては「担当」という気持ちはなく、「まぁ、好きかな」くらいの立ち位置で、彼女の出てくるシナリオも網羅しているわけでは無かった。それでも込み上げてくる感慨は今まで惰性で触れていたアイドルマスターに対して抱いたことのないものであった。この半年後くらいにシンデレラガールズと一時決別するのだが、約一年後、じっくりと新たな歩みを始めたとき、リスポーン地点には紛れもなく、喜多見柚という存在を携えていた。
今の僕は、モバマスというゲームは全く触っていないし、もしかしたらサービスが終わるその瞬間まで、全く触ることが無いかもしれない。
ただ、ほんの少しの時間、じっくり向き合ったこの2つの出来事は、間違いなくコンテンツの端を掴み続ける要因になっている。
CUE!、そしてモバマス。
自分なりの距離感や付き合い方、世界観が固まって、忘れかけていたときに記憶を呼び起こしては自分の青さに身悶えしてしまいそうになる2つの概念。それらが失われると聞いて、「新しい好きの受け入れ態勢」に慣れつつあった心にブレーキがかかり、地面と車輪の摩擦で出来た文章がコレ。何かを書くことは、どうやら受け入れがたい状況に直面したときの防衛機制になっているようで。
この文章を書くために意外と昔から残していた自分の気持ちのログを覗いてみたら、
「声優の名前、長くね?」
という一節があって、思わず吹き出してしまった。察しの良い方なら分かるでしょう。武田羅梨沙多胡さんのことです。
はじめて味わった感慨の隅っこにポツンと置かれた気持ち。その一節のあとには、「なんかピッタリな気がする」と続いていた。この「なんか名前長いけど、スッとハマった演技の持ち主」にこのあと何度も心をズタボロにされることになる。CUE!で出会った内山さんもそう。
そしてこのふたりとの出会いは、今の好きに繋がっている。内山さんが陽菜を演じていなかったら、DIALOGUE+を観に行く決断も、宮原さんのパフォーマンスに出会うことも無かったし、武田さんが柚を演じていなかったら、大阪のイベントに行くことも、篠原侑さんという新しい沼に落ちる事も無かった。
ふとしたきっかけで触れて、出会ったコンテンツの好きなキャラクターの「代弁者」ともいえる存在に非常に恵まれていて、その出会いが新たな出会いを産んで、かけがえのない好きに辿り着く。まもなく展開が閉じてしまう、というマイナス以外にもこの二つのコンテンツに共通しているポイントに、改めて気づくことになった。
当然、触れられなかった時間や味わえなかった世界に後悔がない、と言ったら嘘になる。六石陽菜以外のストーリーは断片のような記憶しか無いし、喜多見柚のユニット、フリルドスクエアのイベントは億劫になって走るのを途中でやめてしまった。プレイヤーとしては言及するのを憚られるくらいの浅さがある。
ただ、それでも「大好きになる過程」がたくさん詰まっていて、今まで繋がっている場所が消えることがとても惜しい。という気持ちを置いておきたかった。
言ってしまえば、新しい何かに出会うための補助輪のような役割を果たしてくれた2つのコンテンツ。
すいすいと心の赴くままに走ることが出来ている今のうちに、いつか転んだときの自分が、補助輪の存在を思い出せるようにこの記録を残しておく。
「新世紀の〇〇ソング」 〜知らない「音」を浴びに行った記録~
何もそんなに暑くなくていいんじゃないか、と思うような太陽。
こんな季節が来るたびに思い出す光景がある。中学生のときの、野球部の新チーム初戦。太陽と重なった打球を見失って負けてしまった日。
下級生からベンチ入りしていた僕が野球ではじめて味わった挫折。
「あの日、僕がレフトフライを上手に捕ったとして」
生きていると「あの日、こうしていれば…」という「if」を思い返す機会がある。今回はそんな、「if」の選択があり得たお話。
「あの日、僕がノリと勢いで生きていなかったとしたら」、体験出来なかったであろう「音」にまつわるいろいろな出来事について書いていく。
・4U 2nd Live Tour Daze forU!! 山梨公演
ノリと勢いで生きてたら気付いたら山梨県に居ました(照
Tokyo 7th シスターズ、通称ナナシスのユニット、(なんか違う呼び方あった記憶あるから調べてみたらユニットだかエネミーだかライバルだかややこしくて分からん!)「4U」の単独ツアー、その追加公演となる山梨公演に参加した。この週末は土日共に急にチケットが降ってきて、その度に「ノリと勢いで生きるの辞めたい」と呟いていた。いやマジで。え、前日?う〜ん、「そうでもない」。
富士山にほど近い、時折吹き込む涼しい風を浴びることが出来る半野外のステージで得られた、とびきりホットな夏の思い出を記していく。
車窓から流れる景色に、少しだけ古傷が痛んだ富士急ハイランド。つい最近「蹴りをつけた」気持ちを置き去りにするかのように、ひとつ先の河口湖駅停留所でバスを降りると、迎えてくれたのはそこそこ見覚えのある女性。
街を巻き込んだ思った以上に大掛かりなお出迎えを抜けた先の河口湖ステラシアター。連番者からは「フリ素の覚悟をしておいてね」と告げられていたチケットを開くと2列目。いや近い。これ前日にノリで行くわ〜wとか言ってるヤツが握っていいチケじゃない。2月の立川のアレ以上、5月の大阪のアレ未満といったところの距離感。しっかり目に焼き付けるかぁ〜という心持ちは即座に裏切られることとなる。
ハモリが綺麗で夏っぽ〜い、イイね!と感じた「ワタシ・愛・forU!!」。ここまではまだ人間の心があった。だがその次、
「TREAT OR TREAT?」
「Lucky⭐︎Lucky」
「メロディーフラッグ」
馬鹿でしょ(褒め言葉)としか言いようがない叩き込み方。この日の3週間前に間接的に僕の精神を苦しめた吉岡茉祐さんがまぁ目の前で煽る煽る。あんな演技の後に同じ人がコレだけ真逆のハジけ方するの、感情がFUJIYAMA。そんな気持ちで観ていたとはいえ煽られたら跳ぶしかないので跳ぶ跳ぶ。よく「明日のことは考えずに〜」とMCでアーティストが言ってくるが、4曲目の時点で「お前たちに、明日は無い……」と宣告してくるのは久々の感覚だった。
序盤の畳み掛け(MC挟んでたけど普通に息切れしてた)のあとは各キャラクターにフォーカスした楽曲。そういやこれキャラクターコンテンツだったな……と思い出させてくれた。
現地で聴くのははじめてだった「青空emotion」「パフェ・デ・ラブソング」。そしてやっぱり私がど真ん中よ!と言わんばかりに雪崩れ込んだ「ROCKな⭐︎アタシ」。フロントマンがドンドン引っ張るというより、個が主張し合って不思議に調和しているユニットなんだろうな、という印象を得られた。
続いてコンテンツの他のユニットのカバー曲パート。意外と昔行ったナナシスのライブのことも覚えているもんだな〜と思いながら振りコピ(バンドなのでコピーする振りも何も無いが)を3曲ほどこなした後、流れてきたのが「夏のビードロ⭐︎シンフォニー」。この日がほぼ初見のこの曲、何というか"癖"の塊のようで一瞬で魅了されてしまった。
その癖の根底にあるのが「爽やかさと棘っぽさの両面」を表す概念。
僕の敬愛してやまないバンド、Base Ball Bearが多用する「サイダー」という概念がコレにあたるのだが、この楽曲の「ビードロ」も似たような概念だと考えている。
まるで水のような顔をしながら、喉元を刺すように走るサイダー。
透き通った美しい見た目をしながら、つんざくような音を鳴らすビードロ。
爽やかさを絵に描いたような見た目をしていながら、触れるとチクりと刺してくるコレら二つの概念。青春真っ只中の設定のガールズ・バンド・ユニットが歌うにはあまりにも絵になりすぎる。そんなことを思いながら、目に入れるとチクリと痛い、これまた透明な概念、シャボン玉の演出に包まれた3人を見つめていた。
そんな感傷を引き摺ってアコースティックパート。半野外の会場の特権と言うべきか、夕焼けが3人の背中を照らして放課後の校舎の音楽室の片隅めいた空間が形成されていた。合唱コンクールの前の練習ってこんな風景だったよなぁとオタクに染まる前の僅かな甘酸っぱい記憶を辿りながら、「Hello …my friend」「プレゼント・フォー・ユー」に耳を傾ける時間。長縄さんの横顔がとっても良かったなぁ、と、しみじみ。
まるで心の天井についた染みを数えるかのようなほっとしたひととき、そこに「ボンヤリしてんじゃないよ!」と喝を入れられた本編ラストパート。回復した体力を根こそぎ持っていかれて行かれた。ラストナンバーは新曲の「Daze for U‼︎」。最新の私たちが最高と言わんばかりの締め。楽しいの一言に尽きる時間だった。
アンコールを待つ前の幕間の映像でひとしきり笑った(本当にめちゃくちゃ面白かった)あと、ステージ上をふと見ると和太鼓。映像にあった「やりたいことリスト」のひとつ、「盆踊り」で一気に会場は夜のお祭りモードに。そこから「一曲だけ」とアンコール披露。「メロディーフラッグ」でキレイに幕が閉じた…
と思ったら鳴り始める「TREAT OR TREAT?」のイントロ。加減を知って欲しい。「もう一曲やりたくなっちゃった」とか言い出してガラスのブルースのイントロ弾きはじめる藤原基央か何かかな?こうなったらもう歯止めが効かないのが4U。「LOVE AND DEVIL」「Daze for U!!」を叩き込み、後に塵すら残らない完全燃焼。息も絶え絶えで空を見上げると、この夏最初の花火が打ち上げられていた。
さて、4U、というかナナシスというコンテンツについて。この日でライブ自体は4回目の参加になったのだが、確実に言えるのは「雑に行っても絶対的な楽しさが保証されている」ということ。
ただ4Uが他のユニットと違う、と感じたのは良い意味でのフリーダムさ。コンテンツであることを意識させることに徹した作りの普段のナナシスのイメージで参加したのであまりにも「アーティスト感の強いライブ」に面食らった。きっとコンテンツという枠組み以上に、ライブという体験に重点を置いて、「ライブが楽しい」と思って帰って貰えるように作られているんだな、と感じた。
コンテンツの知識や思い入れなんてこの日の連番者に比べたら無に等しく、曲しか知らないような状態にも関わらず、4日分の筋肉痛が襲ってくるくらい楽しんだ。それくらいのライブ、いや、エクササイズ。是非とも多くの人に体験して欲しいと思うばかりである。ありがとう4U。
・DUSTY FRUITS CLUB TOTAL CONTRAST VIVID COLOR NIGHT
時は遡ること5月。
新しく好きになった概念を一度観てみようと足を運んだウマ娘4th。
そこで披露された「winning the soul」、僕の目線はステージの一点に注がれていた。
その横に居るさいと…Machicoさんのパフォーマンスが図抜けているのは何度も観てきたから分かっていたが、まさかそれに匹敵する、いやそれ以上のパフォーマンスを横に並んで見せつけてくる存在がいるなんて、という大一波、そんな人が虹ヶ咲ではステージで踊って歌う側ではない、という第二波。この2つの衝撃から、「この人のパフォーマンスを、どこかで一度観てみたい」という気持ちが生まれた。
と、いうことで調べてみたらウマの日のちょうど3日前にソロライブをやっていたというバッドタイミング。しかもその日はCUE!と重なっててどちらにしろ行けなかったし、更に僕の半生を共にしたBase Ball Bearのドラマー、堀之内大介氏がサポートメンバーで参加していたとのこと。なんというか、観たいものがここまで噛み合わないかぁ〜と思わずにはいられなかった。
が、ある意味リベンジのような機会は、思ったより早くやって来た。
それが今回参加したDUSTY FRUITS CLUBの「TOTAL CONTRAST VIVID COLOR NIGHT」。矢野さんがボーカルを務めるロックバンドの2days公演、その2日目の感想を綴っていく。
「これぞライブハウス」、と言う空間に立ち入るのは、いつ以来だろうかと記憶を辿ると、鹿児島の繁華街の灯りを思い出してしまうのは、きっとこの会場に一人と居ないだろう。そんな気持ちを抱えて入場した渋谷REX。久しぶりの「オールスタンディング」という言葉の響きに、自然と胸が高鳴るのを感じていた。
開演前のジングルが大きくなり、バンドメンバーが各々楽器を手に取る。間もなくして姿を現したのが今日のお目当て、矢野妃菜喜さん。
この日の会場の中でオタクとしていちばん浅い自信があった僕でも、「あ、何か役に入り込んでいるときとは違う顔だ」と気付くことができた。いつか観たライブでの、ベースのチューニングを終えて一息ついたあとの関根史織さんのような雰囲気。今から音楽を届けるぞ、という女性の顔はどこか似るらしい。
そんな余計なことを考えていると静かにイントロが鳴りはじめた。「Beautiful Pain」。メロディが進んで行くたびに少しずつ音が重なっていくビルドアップを感じられる楽曲。ギター、ドラム、ベース、様々な楽器の音の層に鍵盤の音が合流した1秒ほど後に拳を突き上げた矢野さんの情熱的なシャウト。フロアを温めるにはもってこい。ここからアップテンポな楽曲が束縛からの解放を求めるかのような「Scream!」まで続いていく。この楽曲、まさに色々な鬱憤ばらしのようにバンドメンバー含めた会場全体がヘドバンをしていたのが印象的であった。MCで言ってたけど、そりゃあ首も動かなくなるよな……
アップテンポな楽曲のパートが終わってからはバンドとしての手札の幅広さを見せつけるかのような展開が進んでいく。どことないファンクを感じる「Simple life」、バイオリンの音を加えた「勇気のかけら」や息遣いまで聴こえてきそうな「ひとりでも大丈夫」といったバラード、他の楽曲のデジャブが何度も訪れて、曲の中で3曲くらい連続で流れているんじゃないかという感覚を覚えた「Don't stop the music」。音の表情を代わりに伝えるかのような矢野さんの表情の移り変わりと、純粋に良い演奏を楽しめた。
そして「明日のことなんて忘れて楽しもう」と言わんばかりの畳み掛け。フロアが跳び上がる人と人の間隙を縫って視界に入った「ROCKSTAR」で拳を突き上げる矢野さんはまさに「ロックスター」のようであったし、タオルをこれでもかと言わんばかりに回した「アルジェの夏」、そしてアンコールの「next Sunday」。心地よい疲労感とともに次の日曜日に向かうパワーを受け取ることができた。
そのあとにダブルアンコールのサプライズ。披露されたのは「Beautiful Pain」。
「いちばん最初に披露した曲を、最後にもう一度披露するライブに外れはない」と知り合いの誰かが言っていたことを思い出した。
それはきっと、その日浴びた体験のダビングと、一回目と二回目の音そのものの違い、そして最序盤の緊張と終盤の解放感のギャップにより産まれるんだろうな、と気付けたのが、表現者としての矢野さんを知ることとともに得られたこの日いちばんの収穫だった。
ほとんど予備知識なしで臨んだ今回。実際に聴いたあと、果たしてどういった感想をえるのだろうか。出来ることなら近いうちに、またDUSTY FRUITS CLUBの音を浴びたい、と強く思った。
・カラオケのヤツ
はい。
真面目なライブレポートはここまで。
さっきまでの「rockin'on」の編集者の面を脱ぎ捨ててオタクショップの片隅に置いてある某雑誌の編集者の顔面にチェンジさせてもらったところで。実は7月頭にはじめて女性声優のカラオケイベントと名のつく催しに行った。そう、オタク収容施設、初収容の日。
ギリギリまで判断を渋っていたが、無茶な予定をこじ開けてでも観に行きたいというポジションに篠原侑さんという存在が収まってしまったようで。
見てるか立川の最前でニチャニチャしてた2月の僕。お前はその1週間後、予想もつかない方向に舵を切ることになるぞ。
このイベント自体は期待より数段楽しめた。篠原さんの「好きなもの」を詰め込んだ選曲、大切にしている曲を丁寧に歌う様子、後ろのガヤ。後日貰えた私信も含めて心の充電には充分余りあるものだった。123-0、5回コールド。この日も僕は女性声優に勝つことができませんでした。
さて、本題はここから。
「音」を浴びに行った副産物として得られたのが、この日の出演者のひとり、下地紫野さんのオタクとサシで会話する機会。Twitterアカウントを変える前からの数少ない知り合いで、「汚点」と切り捨てて言及を避けがちな過去の僕のことも含めて積もる話を沢山した。積もりすぎて時間が足りなかったのでまたお話したいくらい。あ、見てますよね?時間合えば行きましょう。
ここでの会話、なんというか久しぶりに初心に帰るような気持ちになった。キャラクターに対しては何度も文章で洗い直してきた「どうして、どのように好きになっていったのか」という過程。それを「推し」と呼んでいる概念に対しても当てはめていくアウトプットの作業。直近すぎて過程が鮮明に思い出せる篠原さんから、「そんな時期もあったなぁ〜」と唸ってしまった話まで。この日にアウトプットの練習をしていなければ、イロアワセに対する感想文の半分のパートは完成しなかったと思う。それくらい楽しく有意義な時間だった。あちらがどう思っているかは知らないけれど。
聴きたい「音」に惹かれて集まった場所で、自分の"推し観"を吐き出せた貴重な時間。こういう話をするのもイベントの醍醐味だな〜と思った。
ちなみにこの日の最大のハイライトはコレ。
「キャラクター契機で気になって個人のイベントまで行って挙句の果てに遠征までしているのにその人にまだ堕ちてないは流石に無理があると思うよ」
ごもっともです。僕の負け。
と、いうわけで7月。知らない場所で知らない音を聞きに行って色々感じた、考えたことの記録。最後は番外編みたいなものだけど、今の僕にとって外せない出来事だったので、書いて残しておきたいなと。
「あの日、僕が聴いた音を思い出せなくなったとして」
中学生の夏、スコアブックに書いた「レフトフライ・落球」を示す記号のように、見返せばその日に帰れるような場所を作っていきたい、そう思える機会に恵まれたひと月であった。
---------おもいでこーなー---------
・今回は音楽がテーマなので。音だけです。
*今回のモチーフになった曲です。
「ミリシタ」を辞めて、半年が経った。(2)
*この文章は、先月書いた文章
コレの「続き」のつもりです。新しい「好き」を拾う過程で、昔の「好き」にふと寄り道したときのお話。別の記事とくっつけるつもりだったんですけど趣旨がズレそうなので個別になりました。
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ミリシタを辞めて、7ヶ月目。
765プロASのライブに行った。
そう、開催は実に4年ぶりらしい(ということは、あのど田舎のガラガラLVで初星観たのも4年前?!)765プロASの単独ライブ。チケットは持っていたけれど、正直あまり乗り気では無かった。
実際に2週間以上も整理に時間を要した「推しの、推したる所以」に完璧に向き合いきれてない中途半端な気持ち、(コレのこと。この日の時点で文章絶賛迷走中だったので苦しかった。)
そしてある種の「サヨナラ」を告げたコンテンツのピースである存在を見に行く、というセンチメント。
「行くべきではないのかもしれない」という気持ちは、当日まで消えることは無かった。身内に挨拶しつつ、知ってる曲が来たら良いな〜程度のモチベーション。
その低いモチベーションに対しては余りにもお釣りが多すぎた。
「リゾラ」「目が合う瞬間」「Nostalgia」「Miracle Night」etc……
雑に7年アイドルマスター触ってるせいで、ほぼコンシューマーをプレイしていない僕でも知っている楽曲たち。「生きてるうちに、コレを現地で浴びれるんだ……」という感慨が、電流のように身体の細部まで走り抜けていった。
この日の感情のピークは「M@STERPIECE」。会場中から湧き上がる歓声の中、会場から切り離されているような感覚を覚えた。
このコンテンツに触っていちばん最初の明確な拗らせ、斜に構えこそが何を隠そうこの楽曲。(最初が適当に触ったグリーな時点で斜構だろと言われたら返す言葉が無いんですけど……)この曲、実はあんまり好きでは無い部類にいた。
グリーのゲームを触っていちばん最初に目について以来、惰性のように推してきた箱崎星梨花というキャラクター。彼女が出ていると聞いて物は試しと観た劇場版。そこでの扱いの薄さに気落ちした僕は、映画の主題歌であった「M@STERPIECE」に対して、「推しがモブの映画の主題歌を好きにはなれない」という感情を持ってしまっていた。
しかしこの日。この曲。数年間の歩みを表現する演者の皆さんのパフォーマンスに感動すると同時に、
「どうしてこんな良い曲が、僕に取って"無理"だったんだろう」 という気持ちが生まれた。
コンテンツ全体に触れて7年、そのいちばん最初に感じた負の感情。ある種の怨念。それが手からすり抜けるのを肌で感じた。
「アイドルマスターミリオンライブと、その中の箱崎星梨花という女の子が好きだった自分」が、自分のはずなのに、遠く離れた人物になってしまったことを突き付けられたような気がした。そんな5分半。
今まで味わったことのない、不思議な感覚がそこにあった。戻れる場所はあるのに、戻りたい自分は存在しないジレンマ。推しという概念が存在しない、虚ろだけど、不思議と愛おしさを感じるハコを、じっと目に焼き付けていた。
「Th@nk You!」とラベルを貼って、いつでも手に取れるようなところに置いてあったタイムカプセル。
「若かった」や「懐かしい」とラベルを貼って地中深くに沈めてしまうのには、まだ時間が必要なのかもしれない。
9ヶ月ぶりに観た、大好きな演技に惹き込まれてしまったお話~「イロアワセ vol.3 〜LiLY whIte〜」
「愛はきっと奪うでも 与えるでもなくて
気がつけばそこにあるもの」
このフレーズは、僕が敬愛する詩人のひとり、櫻井和寿氏により1996年に紡がれた「名もなき詩」の一節である。
物心ついてから、父親の車のカーオーディオで聴き流してきたこの歌詞の意味を初めて考えた時から、「愛とは何か?」という問いを投げかけられたとき、僕はこう答えるようにしている。もちろん、そんな機会は人生で一度も訪れることは無かったが。
ふとしたきっかけで手に取ったはずなのに、気がついたらいつも頭の片隅をときに大きく、ときに小さく蝕んで離さない感覚。僕の中にも、彼の言う「愛」と比べるのはおこがましい気がするが、確かに存在する。
そんな僕の思考の片隅を静かに支配している存在を、実に9ヶ月ぶりに観に行った。その記録をここに残そうと思う。
・ROUGH SKETCH ~今回の現場について
今回参加したのは「イロアワセ vol.3 〜LiLY whIte〜」。
僕の文章をアイドルマスターとかその他のライブの感想以外まで舐めるように見回している奇特な人間ならば、この「イロアワセ」という単語に見覚えがあるかもしれない。ちょっとだけ触れたので。
簡単に言ってしまえば声優、俳優の松田彩希さんがプロデュース(と、言いながら、尋常じゃない量の仕事をする)するイベントであり、僕は第1回目から参加している。
このきっかけも、松田さんと1回目に出演された鶴野有紗さんが出演している「CUE!」のライブ前に演者に少しでも触れておくか、という軽いノリであり、そこで味わった楽しさを引きずったまま、第2回も参加した。第3回もあれば、時間が合えば参加したい、と思っていた。
【出演者情報】
— イロアワセ (@iro_awase) 2022年5月10日
長谷川里桃( @hasegawa_rimo )
深川芹亜( @seria926 )
堀越せな( @sena_horysan )
三田麻央( @kyunmao_m99 ) pic.twitter.com/hOTbIx8Aeu
そんな「時間が合えば」は「絶対に行く」に変わった。
軽いノリで触れたコンテンツは、もれなく大きな爆弾が降ってくる、という僕の中にあるジンクス。きっと〇トノ〇〇ヤ〇ン〇にも破れない。
上京してからの約1年と少し、新しい好きを見つけたり、昔からの好きに蓋をしたり、と忙しなく過ごしていたせいで、9ヶ月も間が空いてしまったが、ようやく深川芹亜さんを観に行く機会を得られた。
何も考慮することもなく(まぁ厳密に言えばギリギリ被りそうなssh……別の女性にニチャニチャするイベントは前日にあったが……そこは、ね?)生身の推しが、キャラクターに命を吹き込んでステージに「イロ」を付けていく様を見届けられた一日。ここからは深川さんだけでなく、多くの演者とキャラクターにより彩られたキャンバスに対する感想と考察、そのキャンバスを作った絵筆のひとつである深川さんに対する感想を書いていく。
・CANVAS 〜彩られた、「イロアワセ」を観て
第3回目となった今回のタイトルは「LiLY whIte」。
文字通り「白という色」が全体を貫くテーマのひとつになっていた。一回目から2人→4人ときて、今回は8人のキャスト。その配役が全公演通して変化し、同じ組み合わせが無いように調整されていて、今までより「演技」に比重を置いた公演になっていた。一回目や二回目はどちらかというと、面白くなりそうな要素を詰めて、面白い「イロ」を付ける催しだったので、「演者のパワー」が彩色の主たる要素としてステージを彩っていた印象を受けた。
台本を担当したのは吉岡茉祐さん。あるオタクからそこそこなプッシュを受けていたことと、ナナシスの現地に何度か足を運んでいることもあり、キャストとして以外にも活動している情報は入っていたのだが、創作方面の活動を触れたのは今回がはじめてであった。いや、恐れ入りました。また貴女の作品に、貴女の作品を演じる推しに触れたいです。
そんな台本、物語について。
アーカイブの期間も終わったし映像としての記録も全く無い(松田さん談)とのことなので思いっきりネタバレ&解釈を解放していく。次回このイベントに推しが握られた人々の背中を押すため、また、こんな楽しいイベントがあるんだよ、と伝えるために。
・作品のディテールについて
この作品に登場するのはA-D、そしてAが一人二役として演じる「Aの妹、『リリ』」という5つの配役。彼女らにより『オトモダチコミュニティ』という男子禁制のオフ会をめぐる物語が展開される。
そんな彼女たち4人にはそれぞれモチーフとなる「花」が存在する。
Aは「アルストロメリア」「白百合」
Bは「クロユリ」
Cは「チューリップ」
Dは「ホトトギス」
花の話が盛り込まれたら花言葉、というのは半ば常套句と言われるとおり、それぞれの花言葉が配役の像と密接に関わっている。後に紹介するあらすじを読んだあとに、是非とも調べていただきたい。
モチーフと簡単な設定を頭に入れてもらったところで、次に進む。ここからはあらすじを斜体で書き、僕の考察や感想を付け加えていく。
・ACT1 〜邂逅
彼女たちの邂逅と、「オトモダチコミュニティ」という舞台の説明。Cはそこに「新たな出会い」を求めて参加したことが明かされる。のだが、BとDの会話から、彼女たちはCについて知っているような雰囲気を醸し出している。
短い反応というか、セリフにない「間」がCの異物感、招かれざる客としての属性を付与していた。
特にDがCを一瞥したときの「…まじか。」という呟き、探るような「ふうん」という反応、極め付けはBの「ずっと楽しみにしてたんだ!」という発言。この発言が後に最大の皮肉と分かったとき、息を呑んでしまうこととなった。
・ACT2〜融解していく「うわべ」の関係
うわべでは初対面、ということになっている彼女たちは、お互いの様子を探り合っていく。そこで「Cの同性愛嗜好」と「Dが配信者で、CはDを推している」という2つのカミングアウトがなされる。そのカミングアウトが受け入れられたと感じたCは、Aに好感覚を伝えるが、Aからは「無事に帰れたら」という意味深な返答が返ってくる。
ACT2は、視界から得られる一つ目の情報で首を傾げることになる。
それは管理者によるメッセージ。『オトモダチコミュニティ』の入室条件が書かれた何の変哲もないメッセージだが、その投稿日は2019年12月。作中のオフ会が開催されている2022年7月から不自然に間が空いていることに気がついた。この余白に何かがあったに違いない、という確信を持って物語は続いていく。
そのあとに続くCの語り「管理人さん(A)の顔を見て、素敵な日になると確信した」「好きな人と初めて会った時って、こんな感じだったっけ?」は、物語が進行する上で押さえておくべきセリフである。
・ACT3〜役者を楽しむ綿密に練られたアドリブパート
ACT3では、参加者たちがゲームを通じて仲を深めていくアドリブ中心のパートである。そのゲームを終えて、Cは「推し」であるDの人間味ある姿が、出来上がった「配信者としての、崇拝する概念としてのD」とかけ離れたところに失望してしまう。その失望に対して、Cは謝罪を申し込もうとする。
このパートは「イロアワセ」というイベントあるある、と言ってもいい箇所、ゲームパートが存在する。みんな大好き「女性声優のワチャワチャゲームタイム」。流石プロデューサー松田、オタクを良く分かってるね。
……とか言いながら台本を後に見ると「Dの勝ち負け」によってセリフが場合分けされていて、一本取られてしまった。完全アドリブに見せかけて、演技という筋は通すという仕掛け。台本は必須アイテム。肝に銘じます。
このシーンで印象に残ったのは「ステージに立つ人間の代弁」のような台詞が散見されたこと。
Dの「本当は趣味でゲームやってたい。誰かに見せるためじゃなく、純粋に好きなことを好きなようにやりたい」「曲や歌も、事務所が絡む」という点。
そしてAの「みんな何処かで偽って生きてる。人に好かれるため、身を守るため、化けの皮を被って生きてる。それが人間」という台詞。
役者って、演者ってこういう葛藤を抱えているんだろうな、という点が読み取れた。もっとも、Aの台詞については役者の苦悩の代弁という意味だけでなく物語の伏線を孕んでいるのだが……
・ACT4〜 一つ屋根の下、二つの夜
CはDの部屋に忍び込み、会話を試みる。Dは彼女の侵入を受け入れつつ、探りを入れていく。コミュニティの募集要項について、彼女がここに来た目的について、そして「白百合」について。その探りはBの侵入によって妨害されるも、Dは Cが「何も知らない、覚えていない」状態にあることを悟り、コミュニティから去るよう勧めるが、Cは Dが似たもの同士(同性愛者)であること、そしてその対象はBであることを見抜き、「代わりになれますか」と誘う。
その頃、AとBの間にも、同じように、「誰かの代わり」になる時間が流れていた。
ここから物語は「転」に入っていき、CとC以外の間に「かつて何かがあった」ことが浮き彫りになっていく。「白百合」「リリ」と呼ばれる概念の提示、そして「推し」であるはずのDの香りを「よく知らない女の人の香り」と切り捨ててしまうCの語りから展開の変化が読み取れる。
この「よく知らない女の人の香り」という表現は、「知っている女の人の香り」があることを暗に示しており、この場所はCにとって、訪れたことがあり、記憶はなくとも、感覚が生きていてこの場所に赴いた、ということを示しているのではないかと考える。この「鼻・匂い仮説」は僕の考察の一つとしてあとで擦らせてもらうので、覚えておいてほしい。
・ACT5〜急転
夜が明け、朝を迎える。
続々と起きてくる登場人物。その中で最後に起きてきたDは、Cの挨拶を受け入れる。それに対してAとBは騒ぎ立てる。朝日の眩しさに立ちくらむC。そんな平穏な朝。流れてきたニュースは、「花白リリ」という女性の遺体が見つかったことを伝える。
A「……リリ」
C「白百合が、死んだ。」
明らかに動揺しているAとC。Bは何かを決心し、DはCの背中を押して逃がす。Bを止めるA、朦朧とした意識の中、走るC。Cの前には、「誰かは分からないけれど、愛しいと思う」姿の女の子が立っていた。
このシーンでは、散りばめられた物語のピースが一気に集結していく、まさに「転」の真っ只中に感情を預けていた。登場人物の愛・憎・焦。この乱暴に卵黄をかき混ぜるようなスピード感に惹き込まれていた。起承の答え合わせという、考察の余地を挟まない展開。本当に映像が無いのが惜しい。
・ACT6~ 狐の嫁入り
意識を失い倒れたCを見舞うBとD。Cを囲む彼女たちの間には、Cの「圧倒的被害者意識」と「記憶の抹消」に対する恐怖が流れていた。
Dに代わって入ってくるA。被害者意識のないCに手を下す意味を見いだせず葛藤するBは、Aにリリの姿を重ね、少しずつ言葉を零していく。大好きだった「リリ」の面影は薄れるのに、喪った悲しみは消えない。そんなBにAは風にあたってきたら、と提案する。外は狐の嫁入り。化けて「リリ」が出てきそうな、強い雨が打ち付けていた。
ここまで「語り」としてストーリーを進めてきたCが一時退場し、A、B、Dの視座からC、そしてリリという存在について言及される。
ここで考えたいのは、シーン中盤のAのセリフ「私はもう、卒業していいと思ってる」について。
この「卒業」とは、どこに向けた発言なのか。
Cという人間の命を断つ決意をここで固めたのか、
AとBの「仮の関係」を終わらせる決意なのか、
Dの不埒で、不安な気持ちの後押しをしたいのか、
それともコミュニティそのものを終わらせるのか。
ここは演じる人がどう感じるかによって変化する見どころの一つであった、と考えている。
・ACT7 ~in the past
時は一年前。「オトモダチコミュニティ」のオフ会。
Cは大好きな「白百合さん」からの愛を求めて参加する。
このオフ会に幹事として参加していたのがB。Bからはオトモダチコミュニティはかつて「同じ悩みを持ち、集った仲間とお互いをいたわり、愛し、求めるものを返し、感謝する、過ごしやすい楽園」が目的であったこと、Bが「同性愛者」であること、その愛の対象が「リリ」であること、そして「リリ」は「白百合」すなわちAの双子の妹であることが明かされる。
そのBの「愛する人」であり、Aと「顔が同じ」であるリリはCと対峙していた。愛している人「白百合=A」と全くそっくりであるリリを目の前にしたCの異常性、かみ合わない会話、そして姉であるAが「同性愛者」であるという事実を受け、動揺するリリ。畳みかけるようにCは目の前の女性との「既成事実」を作ろうとする。
Bはリリがオフ会の会場にいることを知り、また、DからCの異常性を伝え聞き、動揺する。Aとリリの姉妹双方に降りかかった危険な状況と、オフ会を始めてしまった後に引けない状況の板挟みで身動きが取れなくなってしまう。
そしてCとリリ。リリは「お姉ちゃんを守る」覚悟を決め、Cに「嫌い」と告げる。「愛を享受する」目的でやってきた場所で、受けた否定の言葉。彼女にとって、手をかけるには充分であった。崩れ落ちるリリ。
そのころBはDの合流を待ち、思いを伝えるためにリリのもとに向かう。それが手遅れであるとも知らずに......
この一年前のシーン。A(リリ)とCの噛み合わない様子や、すれ違う登場人物たちのやりとりや行動に引き込まれていくシーン。人間味の交差するシーンがここから続いていく。
言及したいのはこの悲劇の起きた要因となるAとリリの取違い。この時点でAとCの直接の接触について言及はなく、判断の手掛かりは他の感覚に頼るしかない。そこで「Aの携帯」を持っていることから、なんらかの探りを入れていたと考える。そこで出てくるのがACT4の「鼻・匂い仮説」。探りを入れるときに染み付いたAの香り。それを感じ取っていたCと出会った「顔が同じ」リリ。厳密には違いがあるのかもしれないが、「恋は盲目」という言葉がある通り、視覚での判断が難しくなっているCはそのまま、リリを手にかけてしまった、と考えた。
・ACT8 ~エンディング
Cが目を覚ますと、そこにはDが居た。「大好きな誰かが居なくなる夢」を見たと話し、「味方になってくれるはず」とDを頼り、愛を受け入れてもらおうと迫るC。それをあしらい、「自分に向けられた愛は、白百合へ向けたものとは違う」「愛に対する見方が、Cと自分とで擦れている」ことを示唆するD。彼女の言葉を受けたCは、「リリの小屋で待っている」Aのもとへ向かう。
一人になったDのもとにBが訪れ、自らがCに手を下して復讐をする意志がなくなったこと、このことに後輩であるDを巻き込んだことを謝罪する。DはBが手を汚すことがなくなったことに安堵する。
そのころ小屋では、AとC。ここでAが「殺したはずの」白百合であることが明かされる。
Cが居なくなってから、時間が経っていることを察したDは二人のもとに向かう。BはDに帰ってきてほしいと伝える。
再びAとCの対峙。Cに「白百合」であることを伝えたAは「本物の白百合」として、Cの言葉を聞き、聞いたうえで、銃口をCに向ける。最後まで嚙み合わないままの会話。それでも死の間際の「愛する人に殺される、これ以上ない幸せ」は叶えられ、Cは斃れる。
小屋に駆け付けたDはAを責めるが、Aの言葉、表情を見て、納得する。そして去り行くAに対し、「アルストロメリア」(Aのモチーフである)、あなたの歌を書いてもいいか、と問い、Aはそれを受け入れ、「最後のお仕事」を頼んで去っていく。
Dが帰るとそこにはB。何気ない挨拶のなかに、「愛しています」とカミングアウトするD。「おかえり」ともう一度答えるBが見つめあい、舞台は暗転する。
Aはリリのもとへ。
Bは送り出したDが帰ってきて。
Cは愛する人に命を絶たれ。
DはBに想いを伝える。
それぞれが何かしらの願いを叶えた、「ハッピーエンドに一見見えないハッピーエンド」でこの物語は幕を下ろす。
終末に向かっていく物語のなかの見どころをいくつか。
まずはCとDの会話。
Cは逃げ道を探そうとしてDを自分のものにしようとするが、「白百合に見える何か」のときのように、強引になり切れず、Dの拒否を受け入れる。このシーンからは「推し」と「愛する人」の違いについて、なにか大事な意図が含まれていると感じた。「愛情を注ぐ」という行為という面では同じなのに、「推す」「愛する」という行為が分かれているように書かれているのは何故か。我々は軽率に「推し」という表現を使うが、そのたびに、というと気持ち悪いので10回に1回くらいは考えてもいいんじゃないか、と思った。そのヒントはD、すなわち「推される側」の「私は結局、どこに行っても一番じゃないんだな・・・。」というセリフにあるのかもしれない。
そして最終盤。AとDの掛け合いにおいて、Aは「いかせて」と言い残す。
このセリフは台本での表記は「逝かせて」となっているのだが、それを持たない我々客にとっては、どこかに行ったとも、そこで命を絶ったともとれる。些細で見逃しかねないセリフに、文字と、声との伝わりかたの違いを感じて唸ってしまった。
ここまで章ごとに紹介してきたこの作品。
ミステリー、というわけではないため、考察しうる余白がいくつも存在している。まずは1回目の邂逅から2回目に至るまでの過程に、何があったかが語られていない点。
どうして2回目のオフ会が開かれたのか、リリの遺体について。
ACT3の最後、画面に映し出された「Cから白百合あての」メッセージ。
「私は普通じゃない」~「さよなら」という10個のメッセージは、それぞれどのタイミングで送られたものなのか。
ACT7で「私より貢献しているかもしれない「あの人」と認識しているCにとっての恋敵」とは誰のことなのか。これに関する、一年前の「AとBの関係性」について。
そして終盤、AがDに頼んだ、「お仕事」の結果。
このようにぱっと挙げるだけでもたくさん出てくる、語られることのない余白を考える楽しさがある、という純粋な作品の享受者としての欲求を刺激されるものであった。
また、散見された「同じセリフを焼き増し繰り返ししていく」表現。僕がこのブログを書くときに結構意識している文章の”癖”のようなものがあった。ラストシーンでのBとDの掛け合いに「雨降るんじゃない?」「そうですね、洗濯物、気をつけなきゃ」というものがある。このセリフはACT5にも出てきているが、発言している役者、状況によって与える印象が大きく変化する。
こういった癖に刺さるシーンもあって、朗読劇、演技を楽しめるイベントとして、第一回、二回と同じように楽しめた一日であった。
・PAINTBRASH 〜作品を彩る、キャストについて
と、いうわけでここからはガチ私情のターン。キャストについてと言いながら一人しか観てなかったですが。その人について言葉を尽くして行く。
今回深川さんが演じたのはC、そしてAという2つの配役と、木之本葵というキャラクター。配役については前章で触れているのでそこを参照してほしい。
この「配役にキャラクターの名前がつく」という見慣れない構成、イベントタイトルに即した表現を探すとすれば「重ね塗り」により、深川さんが演じる「Cの木之本葵」と「Aの木之本葵」に付与された属性は大きく変化していた。簡潔に表現するならCは「笑う溌剌な異物」、Aは「愛される自己犠牲」といったところか。
台本やステージを見る限り、「キャラクターの名前」は本編に与える影響はそこまで大きく無いと感じたのだが、演じる配役によってそのキャラクターが観客に与える印象をAの〇〇、Bの〇〇…といったように、変化させることで違ったキャラクターを産み出すという狙いがあったのではないかと考えている。
まずはこの日の昼に演じられたC。販売されていたCDのリーフレットに記載があった通り、深川さんにとっても「いちばん好きな役」であり、ステージを観ている僕にとっても「これ以上ないくらいハマっている」配役であったと考えている。
中の人とキャラクターは極力切り分けて考えたい、というスタンスを普段取っているのであまりこういう話はしないし正直したくないのだが、深川さんを推すきっかけになった「喜多日菜子」といキャラクターの好きなところに、
「妄想をパワーに変える」
「手綱を握らせるようで握らせない」
「ちょっとした狂気めいた振る舞い」
というポイントがある。Cという配役はそこにちょっとした「歪み」を加えている。この「歪み」というのは、例えば日菜子というキャラクターのアイコンである「妄想」。Cはそのアイコンのアタマには「被害」が加えられ、「被害妄想」となっている、といった変化を指す。「大好きな演者を大好きになったきっかけの演技の派生形」を見たのがこの昼の公演である。
ひとことで言ってしまえば、デジャヴ。
複雑な表現をすれば、「意図しない事前知識」。
始まる前は真っ白のはずで用意されたキャンバスには染みのようなものがついていたが、その染みすらも作品の一部であった。
深川さん自身も「噛み合わない会話で掛け合う相手をイライラさせる意図があった」と述べていた、一年前の事件、そしてAとの最期のシーン。息をするのも忘れて観入ってしまったこの箇所は、好きなキャラクターの「if」を仮想体験した予期せぬ満足感と、狂気を持った配役に、愛着を持って命を吹き込む役者としての深川さんの魅力に満ちていた。「久々に推しを観れた!」というシンプルな感動は、分針が90回歩みを進めるうちに次々と色が塗り重ねられていった。
あっという間の感情の起伏と、ちょっとした「良いこと」が起きたあとの夜公演。
ここでの深川さんの配役はA。極端に言ってしまえば「殺し、殺される側」から「殺され、殺す側」への転換。イロアワセという催しのコンセプトにある「さまざまなイロを味わう」ことを心から味わえた采配だった。
狂気の魅力に囚われて、Cだけを見つめていた昼との違いは、ステージ全体の印象もよく覚えている、という点にある。Aはこの作品において、キャラクター同士の関係性のムードメーカーであり、流れという意味ではペースメーカーの役割を果たしている印象を受けた。特にゲームパートのアドリブ。昼公演を経たあとでその先の展開を知っているだけに、シュールさで笑いが込み上げてきた。
深川さんを観ているつもりが、自然と全体も視えている、という感覚がまず大きな感想としてあった。
この視座を得ることでCに関しては「役者としての演じ方の違い」を感じられたのが副産物としてある。安齋由香里さんが夜にCを演じられたのだが、彼女の演じるCにはまだ「救われるif」「全てを認め、謝るルート」の光明が見えた。それは深川さんの演じるCの暴力的な狂気からは感じられなかったものであった。(安齋さんに関しては親しんできたCUE!のキャラクター「夜峰美晴」のバイアスも多分に含まれるかもしれないが……そこは演者に対する浅さとして許していただきたい。)
さて、Aの深川さんについて。
Cには「大好きなキャラクター」のデジャヴがあってそれに近い演技のハマりようで目が離せなかった、と書いたが、Aにも同様にデジャヴが存在した。
それがこの記憶。
はじめて本格的な「朗読劇」というものに触れた「アルセーヌ・ルパン」。そこではじめて目の当たりにして、「何かを演じる姿って、素敵だな」と感じた深川さんの表情。その表情が各所に見られた。
スポットが当たっていない時間に台本に目を落とすとき、スイッチがフッと入る瞬間。
CとAの会話において、「生きて帰れたら……」と言い終わった後の深川さんの顔から出てる静かな怨念。
生放送でマシンガントークを繰り広げる芸人根性満載の姿だけでは味わえない、役者としての深川芹亜さんの姿が好きという自覚を更に得られたのがこの夜のことであった。
・SIGNATURES 〜おわりに
さて、ここからは少し気持ち悪い自分語りのターン。さっきまでも相当気持ち悪かったは反則カードなのでやめていただけないだろうか......
この文章、実はとてつもなく難産だった。
「好き」に対して言葉を尽くすことを意識してこのブログを書いてきたのだが、産み出してきた60を超える怪文書陣のなかで、唯一と言って良いほど避けてきたのが「なにかの物語を解説する」文章、そして「演者」についてフォーカスした文章を書くことだった。今回はその二つに一気に手を出した。
前者は夏休みによくやってたことの再現をするだけで、時間かかるからイヤってだけなのでまぁいいとして、問題は後者。
喜多日菜子や、喜多見柚といった「キャラクター」のことを書くときは、「僕はコレが好き」を半ば押し付けてもキャラクターは成立してしまう。しかし、残念ながら人間はそうはいかない。解釈のメスを入れることで、僕、好きを伝えたい相手、僕と同じように僕が好きな人を好きな誰か、その3方位に「解釈が暴力になってしまうのではないか、という恐れ」があった。
筆が進まない。ただ、筆を満足いくまで進めないと、心が進まない。そんなモヤモヤはこの数日、「他の『好き』」に向かっている瞬間以外膨らみ続けていた。
最後の一押しをくれたのは、やはりその人の声でした。
2021年末。深川さんの冠番組の最終回。基本的にそういう番組はROM専を貫いてきた僕が、はじめておたよりを送ったのがその日だった。
九州から出て来て、それまでの生活が変わってからも、変わらず応援し続けた深川さんの新しく出会った表情に刺激され、半ば衝動的に書いたメッセージ。それが読み上げられたときの記憶を、本社がよく爆破されている会社に550円払って半年ぶりに掘り起こしてきた。
はじめて「向こう側から」伝えられた「ありがとう」という言葉と、「WIN-WINの関係でいましょう」という言葉。この二つに一気に応えるには、今まで続けてきたブログを書くしかない。とスイッチを入れなおした。その結果がこの文章である。届くかどうかは分からないけれど、読んだ誰かが興味を持って深川さんに触れようと思ってくれたら勝ち、ということにしておきましょう。
朗読劇のような、その場が終わってしまったら二度と会うことのできない一期一会のキャラクターの演技も、恒常的に追えるゲームのキャラクターの演技も「好き」と言えるような存在があることに感謝を。これからも見える範囲は頑張って追います。あと、そういった存在が実際に増えて(2021/04~)、増えつつある(2022/03~)今の状態も恵まれているな、と思っている。声を大にしては言わないけど。ほら文字小さいし、
さて、冒頭で紹介した「名もなき詩」。
冒頭のフレーズの次に、櫻井氏はこう続けている。
「街の風に吹かれて 唄いながら 妙なプライドは捨ててしまえばいい」
触れられなかった、追いきれなかった、あるいは今まで知ることが無かった「好き」なものに対して、罪悪感というルビがふられた「妙なプライド」を捨てて、心から「好き」を享受したこの日を、この「イロアワセ」の感想を風化しきる前に書き留めてられて良かった、と思っている。
......直接なんか書きますか、流石に。
----------おもひでのしゃしんこーなー----------
昼、マジで迷って開演ギリだった。このせいで台本は売り切れて通販。
お昼。オタクに教えてもらった店。
いや、そんなことある??????
この世の運の全てを使った気がします。ホンマに。
お友達のおかげでブロマイドガチャも全て揃いました。ありがとう。
「ミリシタ」を辞めて、半年が経った。
ミリシタを辞めて、半年が経った。
とまぁ、こういう書き出しをするとまたどこそこの信者が湧いてきて、
「グリーの老害がまた騒いでる!」
「シンデレラしか触ってないヤツが口を出すな!」
「周年前の空気に水を差すのはやめてくれない?」
「アイマスは紛う事なき神コンテンツであり、それを侮辱する、蔑む行為は到底許されません。少しでも至らない点があると判断した場合は私共が然るべき処置を」
とか言い始めるんだろうけど、彼らの殆どはVtuberや配信は切り抜きで観てるくせに、アニメを観るためだけの理由で購入しているテレビの偏向報道に対しては顔を真っ赤にして怒りはじめる、ブレと矛盾の塊のような存在なので論ずるに値しないし、きっと彼らもこの先を読む前に、大好きなソシャゲで磨き上げた時速(笑)を活かして、ブラウザバックをしているに違いない、と思いながらこの文章を書いている。
さて、話を戻して。
ミリシタというゲームを手放してから半年。
最初は少しばかり寂しい感覚があった。ゲームをプレイした最後のイベント楽曲は「ミラージュ・ミラー」。
このコンテンツに熱量を持って臨んでいた頃の懐かしい気持ちを引きずったまま、しばらくは界隈の行く末を見守っていたり、コンテンツから提示されたハッシュタグ「ミリシタ心の1曲」を荒らしてみたり。好きな女子に悪戯をする小学生か、とツッコミたくなるようなふるまいをしていた。
そんな中途半端な気持ちに整理をつけたのが2月。偶然とはいえ握ることができた8thライブ。
ミリオンライブという列車にそのまま乗っていても、コンテンツが見せてくれる景色は僕が見たいと望んだ景色とどんどん乖離していってしまう、というマイナスの気持ちを、久々に浴びたミリオンライブにしか鳴らせない音を浴びた感動とともに小さく畳んで、「Thank You!」というラベルを貼って記憶の隅っこに押し留めた。コンテンツと出会って7年。小学校を1年留年してようやく、タイムカプセルを埋めることができた。
それに付随して「まだギリギリ推し居るから耐えてる」別ブランドのシンデレラガールズでも、「いちばん本気で頑張った222時間を超えた先の、最高の4分半」を味わい、ミリオンライブに留まらず、アイドルマスターというコンテンツの全てに対して蓋をするような感覚があった。
心の片隅に、雑に尖ったまま置き去りにされていたストレージ。それが整理されてから、その中に沢山の新しい「好き」なものが詰め込まれはじめたように感じている。
去年さんざんあるオタクに
「お前は変わっちまったよ......」
とか
「立派な声豚さんに育ちはりましたなぁ......」
とか鼻で笑い飛ばしていたが、僕も大概変わった。そいつは1枚のCDを渡してからあっという間にズブズブな沼にハマっていったが、おそらく彼よりも短いスパンで新しい概念に次々と手を出していった。
その変化の一歩目が件の8thの直後に手を出したウマ娘。
「アニバーサリーだしやってみるか」と軽い気持ちで手を出したらあり得んくらい癖に刺さるキャラクター、カレンチャンに出会ってしまったのが終わりの始まり。イラストを漁り、ストーリーを読み、挙句の果てにはライブまで参加してしまった。
想定外だったのはそのキャラクターの中の人である篠原侑さんにも現時点で「堕ちかけ」ていることである。気軽に聴ける10分間の番組が平日昼のhntb......ひなたぼっこのルーティンになりつつある。
5月末には篠原さんと、僕にとってデカすぎる感情を得すぎて狂ってしまった喜多見柚の中の人、武田羅梨沙多胡さんのお二人による公開生放送に運よく参加することが出来た。場所は半年ぶりの大阪。まさかアイドルマスターでも、去年ハマったDIALOGUE+でもないきっかけで今年初めての遠征カードを切ることになるとは思いもよらなかった。
イベントの内容はホントに他所に出すことのできない内容だらけだったが、後日絞り出した感想に私信を貰えたので1週間ニチャニチャの止まらない昼休みを過ごすことになったそうな。いや、負けてないけど。
そんな大阪で持ち帰ったのは、キモオタスマイルの思い出だけでなく、宿を提供してくれた友人がガチャガチャで一本釣りしたカレンチャンのラバーストラップだけでなく、磔にされて見せられた一本のアニメであった。
それが「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の2期、第一話。
虹ヶ咲という作品、実はこっそりと1期だけ視聴をしていて、そのときはただただ「あれ、自分の聞いている『ラブライブ!』という作品のパブリックイメージと違う」という印象を受けた、大学生時代の数少ない「完走したアニメ作品」であった。そのため当然2期も期待していたのだが、タイミングが全く合わず、リアルタイムで追いかけることが出来ないまま10話まで進んでしまっていた。
おそらく大阪で1話を観ることがなかったら、この文章を書いている頃には、「来週こそ一気見しようかな~」とか言いつつズルズルと時が経ってしまっていたと思う。高校時代からのどうしようもないオタク仲間の数少ないファインプレーである。自宅に帰ってから2週間後。顧客都合で長めの休みを貰ったため、そこで2期を一気見した。
そこからはあっという間だった。
1期で総ざらいした既存のキャラクターをユニットとして深堀りしつつ、新たに加わったキャラクター達をかけがえのない同好会の仲間として描いていく展開。一気見した10話以降はリアルタイムで、毎週が楽しみでたまらない日々を過ごしていた。
特にミア・テイラーというスクールアイドル。彼女がメインで描かれた9話。完全にこのキャラクターにゾッコンになってしまった。自らに蓋をしていた彼女に「視座さえ違えば評価は変わる」という気付きを与え、彼女が届けたい歌を、ひとりよがりではなく「we」-私たち-で届けたいと歌い上げる「stars we chase」。観終わったあと、10話に進むのに心のラグが生じてしまったくらいには胸を打たれてしまった。
9話のほかには5話、8話、12話が特に突き刺さるポイントがあった。この話はいずれまたできればいいな、と思っている。
そんな自分にとって縁遠いはずだったのに、気づいたら近くにあったラブライブ!。 その最終回が先日放送された。
その日はいつものように、一人で見届けようと考えていたのだが、思いがけずお誘いをいただき、たくさんの「コンテンツの犬」の皆さんと時間を共有しながら最終話を観ることとなった。ことあるごとにこの場所で「癖」のひとつと宣言していた「時間の流れ」を感じさせる、素晴らしい最終回であった。この感想をいつまでも話していたかったが、夜を徹したのにもかかわらず時間が足りなかった。いずれ小出しにしながら、次の展開を待ちながら、全13話の余韻に浸ることになるだろう。
そんな僕にとっての「新しい好き」を共有する受け皿になってくれたのが、僕にとって「辞めた」ゲームである「ミリシタ」で知り合った人々であった。その日、13話の感動を共有する時間が足りなかったのは、僕にとって、2月12日を機に蓋をしたはずのコンテンツに対する、「好きだった気持ち」を呼び起こすような会話が止まらなくなってしまったことが大きな原因である。
このブログという場所に何度か、ええい、どうにでもなれ、とヤケクソに吐き捨てた感情。
それを拾い上げてくれていたことがとても嬉しかったし、今なお前線に立ってミリオンライブというコンテンツを追っている人たちとも、その話題についてまだ言葉を交わせる、というか矢継ぎ早に話ができる自分に驚きもした。
どうやらあの日、深く自分の闇に潜って文章を書いていたせいで気づかなかったが、7年間分のタイムカプセルは、地中深くではなく、気づいたらいつでも掘り出せるような場所に置いてあったらしい。
その日の帰り道。
「Colorful Dreams! Colorful Smiles!」を聴きながら、朝5時のウマ娘のログインボーナスを受け取り、その日の11時50分からの篠原さんの出演する生放送に合わせてアラームをセットして歩くときに目に入った、ミルクを多めに混ぜた紅茶のような朝焼けはとても綺麗だった。
ミリシタを辞めて、半年が経った。
整理されて小さく凝縮された、コンテンツを好きな気持ちの余白には、これから多くの好きなものが埋まっていくんだろうな、という予感がある。
Dear My HERO ~僕の青春を作った歌を、浴びた二日間の記憶(1)Base Ball Bear「日比谷ノンフィクションⅨ」
アローラ!
ぴぃ高です。
普段は女性声優にニチャニチャした記録が大半を占めているこの場所なのですが、久々に本来の目的である「良質な音楽を届ける」という役割を果たしたいと思います。
今回参加したのは、「Base Ball Bear」と「Mr.Children」という、僕が10年、特に後者は父のカーオーディオから数えると20年は聴き続けてきたアーティスト達のライブ。少しでも当時の感動が伝われば幸いです。
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10年も同じ音を、声を聴き続けているのって、実は大変なことなんじゃないかなと思わずにはいられなかった。
それくらい自分に染み付いた音を浴びてきたのが5月15日、日比谷野音でのBase Ball Bearのライブ「日比谷ノンフィクションⅨ」であった。
いつ降り出すかも分からない空模様だったけど、不思議とこの日は「絶対に雨が大降りになることはない」という確信があった。
何故なら、この日は、Base Ball Bearのライブがある日だから。
彼らの鳴らす音に、例え雨音と言えど、例え雨音を隠しトラックに仕込んだ楽曲をリリースしていたとしても、ノイズは存在してはならない。
入場してすぐ、お馴染みのジングルの音が大きくなり、3人の姿が現れる。コンテンツのライブのような大掛かりな、壮大な雰囲気は無い。しかし彼らがピックを、スティックを手に取った瞬間、それまでの自然体から急にスイッチが入ったことが読み取れた。
……ただ、この日はそのスイッチが過剰に押されていたようで。
一曲目の「BREEEEZE GIRL」は出だしからハッキリと「緊張」が伝わってきた。無理もない。感染症対策を講じて以来、彼らにとって久しぶりのフルキャパ。
パブリックイメージのヒーローらしからぬ、僕にとってのヒーローとしての人間味を感じさせる一幕であった。
この日のセットリストは僕の中で3つの解釈がある。
まず1-10曲目。「ノンフィクション」と銘打ったライブで展開される「フィクション」。
そして11-14曲目の「お祭り」。
15曲目からアンコールまでは「Base Ball Bearというバンド」の、少し先の未来を含めた「ノンフィクション」。
これでもか、というばかりに僕の"癖"に刺さる「時間の流れを感じさせる」ステージであった。
ステージ上での緊張も相まって、初心な初恋、控えめだけれども、衝動的な感情をぶつけた「BREEEEZE GIRL」、うまく言葉を伝えられないもどかしい様を「君を美しいと感じた そのときにそのまま伝えたら なんて思われるだろう 臆病になってしまう」と表現する「いまは僕の目を見て」、その初恋にオチをつける、ベボベ流・斜に構え節全開の「そんなに好きじゃなかった」。
ひと夏の衝動的な恋を3曲で表現したあと、突入した「文化祭の夜」「(LIKE A)TRANSFER GIRL」「Transfer Girl」。10年彼らの音を浴びているが、発表されたときの意外性という点では追随を許さないファンクサウンドから、「転校生」をテーマとした2曲。新たな出会いと初めての恋を経験したが故に少し大人びた考えを持つようになったフィクションの中の男が、徐々に緊張から解放されてビルドアップしてきた彼らの演奏により、間近に迫ってくるようであった。
ここで小休止のMC。やはり出だしに感じた彼らの、特に小出さんの「緊張」は事実だったようで。久しぶりのフルキャパ、久しぶりの日比谷野音。「感慨」が押し寄せてきた、そんな話をMCでしていた。「一曲目からやり直してぇ〜」とも言っていた。もちろん、笑った。
そんなアットホームなMCの後に入れ直したスイッチのまま突入していく「Cross Words」。
二度目の歌い出し、仕切り直しは、完璧であった。
言葉を「伝える」ことに臆病になっていた段階から「息をするように、君の名前を呼びたい」とステップアップしつつも、「丁寧に言葉を伝えようとする」意識は変わらない。二曲目の「いまは僕の目を見て」との対比に思わず唸ってしまったアルバム「C3」初見の感想を追体験したあとは、「喋るだけじゃなく、触れたい、しまって持って帰ってしまいたい」と深まる欲求を「_touch」「SIMAITAI」と繋ぎ、このパートクライマックスの「初恋」。
この曲のイントロが流れた瞬間、文字通り頭を抱えてしまった。是非とも皆さんに聴いていただきたい。
「初めてじゃない この恋を 終わらない 最初の恋」=「初恋」としてしまおう、という何食ったらそんな歌詞思い付くねん大賞2013受賞楽曲。「青春」真っ只中にいる、フィクションの中の存在を、リリースのタイミングが全く異なる楽曲陣で表現できる彼らの昔から変わらない姿に、拍手が止まらなかった。
彼らが「音楽を使って出来ること」を示した前半を終え、突入していったのは彼らが「音楽で遊んできたこと」を示した「お祭り」のようなゲストパート。
その初手で出てきたのは花澤香菜さん。
え、マジ?とその場がざわつくのが感じられた。どこぞのコンテンツの顔面アルファベットの化け物たちが「今日予定入ってないからサプライズあるぞ!」と期待していたようだが、この日選ばれたのは我々でした。コンテンツの化物ども、すまぁ〜んwww
さて、彼女がステージに立てば、披露される楽曲といえば、約10年前に実現したコラボ楽曲「恋する感覚」。事あるごとに(そんなに事があったことはないが)「男が書いた女目線のラブソングランキングダントツ」と称賛している、ベースの関根さんとの「無二の声」のデュエット楽曲。まさかステージに花澤さんが立って、この曲を聴けるとは思わなかった。女性声優を見てニチャニチャしない文章を書くという当初の目的はどこに行ったのでしょうか。
そんなサプライズの時間はまだまだ続く。valkneeさん、Ryohuさんというラッパー二人を迎えた「生活PRISM」「歌ってるんだBaby.(1+1=new1 ver.)」。ギター、ドラム、ベースという音の基本構成を動かさない分、歌は自由に。基本構成の枠からはみ出ださなければ、なんでもできる、という彼らの強み、遊び心が体感できた。この2曲は明らかに会場の揺れ方がダンスフロア。これぞ日比谷、ラップの聖地というべきか。
そんなフロア、いやステージにRyohuさんが残り、次の曲。僕くらいBase Ball Bearを聴いていたら次やる曲は大体2つに絞られるのだが、この祭りの空気。新たなゲストの登場が宣告され、沸き立つ会場。しかし登場したゲストは想像の斜め上であった。
披露された楽曲は「クチビル・ディテクティヴ」。この楽曲は本来福岡晃子さんが歌唱メンバーとして参加しているのだが、どうしても来れない、とのことで登場したのが福岡さんに「縁とゆかりがありまくり」な人物。
そんな元・チャットモンチーのボーカリストであり、福岡さんとはバンドメンバーであった橋本絵莉子さんの名前が呼ばれた瞬間、会場は大きく沸いた。ここでもまた、聴けるとは思わなかった音を浴びることができたのである。「風吹けば恋」「コンビニエンスハネムーン」といった名曲を作り、惜しまれつつ解散したガールズバンド、チャットモンチー。その透き通る歌声の主である橋本さんを、ライブでもなかなか披露されない楽曲とともに味わった。まさに祭り、といった怒涛のゲストラッシュであった。
そんな祭りを終えたあと、寂し気な空気を纏って鳴り出したのは「Tabibito In The Dark」。イントロからギター→ベース→ドラムと音が増えていき、Aメロから後半にかけて徐々に盛り上がる、「音楽で『ビルドアップ』という単語を表現するとは、こういうことである」と示してくれる楽曲。
「何が普通で何が普通じゃないのか」という歌いだしから自分の意義を問いかけつつも、音の中では何もかもを捨てて、何もかもを忘れて進む旅人。ステージの上に立つ3人から滲み出す気迫にこの日はじめて目の滲む感覚を覚えた。
本編ラスト「レモンスカッシュ感覚」は前の曲が「このバンドのリスナーであった僕が見てきた、10年間の表裏」の「裏」とすれば、「表」を表すような曲。
Base Ball Bear の楽曲にたびたび登場する「檸檬」という果実。ほとんど酸っぱいけど、たまに甘い。
Base Ball Bear の楽曲にたびたび登場する「炭酸飲料」。喉にチクリと突き刺さるが、過ぎると爽やか。
そんな要素の込められた「レモンスカッシュ」。Base Ball Bear の楽曲でたびたび描かれる「青春」を大いに感じさせてくれた。
"This is the Base Ball Bear."
惜しみない拍手が止むことはなかった。
そしてアンコール。
溜めに溜めて深刻な発表するかと本気で不安になった「重大発表」。
それが10年ぶりの日本武道館公演の開催告知であった。
つい最近、「武道館に立つ」夢を叶えた瞬間を見届けただけに、その場所でまた、彼らの音を浴びることが出来る。背景の垂れ幕が「日比谷ノンフィクションⅨ」から「日本武道館」に変わった瞬間を忘れることは無いだろう。
その発表の流れからの「Stairway Generation」。
「階段をあがれあがれ」という歌詞から、この曲は紛れもなく、これからも音を鳴らし続ける、届け続けるという意志が込められている、と確信を持つことが出来た。In The Dark にいた旅人は、アンコールを称えるスマートフォンのライトに照らされて迷うことなく歩み始めたのである。
そして「PERFECT BLUE」。
やっと聴けた。
10年追い続けて、やっと。
時間の流れと切なさと刹那さ。それが一挙に詰まったいちばん大好きな曲。それがこの「PERFECT BLUE」。
イントロで思わず脱力してしまった。この全身の力が抜けていく何が何だかわからない感覚。2021年8月15日、立川での「ミライキャンバス」、10月4日の北九州の「世界滅亡 or KISS」。それ以来の感覚であった。ただただ脳は焼け、力は抜け。それでも歌詞やメロディやステージ上の光景は鮮明に浮かび上がる。この感覚を味わえるライブが、素晴らしくないわけがない。
ありがとう、Base Ball Bear。
僕の10年間と、あなたたちが歌い続けた20年間。
この続きは武道館で、見届けます。
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はい。
本来この記事だけで2ライブ一気に書くつもりだったんですけど思った以上に筆が進んじゃいましたね。ミスチルさんは次回。
普段女性やキャラクターの話しかしないのでこういう趣味全開、マイワールド全開の文章が誰に届くのかは投げたボールの行方をボールに聞くしかない状態なんですが、これを読んで誰か一人でもBase Ball Bearの楽曲を聴いていただけたらなと思っています。
セットリストを追う形式で文章書いたから彼らの楽曲の1割も網羅できていないのが非常に心苦しいですがオタク大好き女性声優とデカい接点のある楽曲も触れられたので僕のお友達ならきっと聞いてくれることでしょう。「恋する感覚」はガチなので。
10年間追ってるけれどほんとに錆びない楽曲を作ってくれます。「旬はいつ?」と聞かれて「今」と自信をもって答えられるアーティストが居ることに感謝。
武道館。11月10日です。僕は当然行きます。来てくれたら嬉しいなぁ~
先行やってるしなぁ~
ということで。では。
ーーーオマケーーー
いつもはクソ写真を供養するのですが、今回は代わりに彼らの各アルバムで一曲ずつ必聴曲・入門リストを置いておきます。
気づいたときには、面はウマだし沼の底。~ウマ娘歴2か月の浅めオタクによるウマ娘4th横浜Day1ライブ・レポート~
〜前回までのあらすじ〜
キャハッ♡ 私ぴぃ高!
数多のソーシャルゲームに嫌気がさしてひとり空中都市、オリンパスのファイトナイトに引きこもっていたの。
そんな私の目の前に突然現れたお馬の耳したお姫様、一番人気、カレンチャン!
「カレンのこと、ちゃーんと見ててね!」
そう言った彼女に手を引かれて、やって来たのはトレセン学園。
そこで出会ったのは「かわいい、つよい、はやい」の三拍子を兼ね備えたウマ娘と呼ばれるたくさんの魅力的な女の子たち。
そんな彼女たちにトレーナーとしてときに優しく(身の毛もよだつキモオタスマイル)、ときに厳しく(負けたら台パン)、ときにシャブ漬け(クライマックスシナリオ)の日々を迎えることになっちゃった!
コレから私、どうなっちゃうの〜?!?!?!
人生の一大チャンスを棒に振ってソーシャルゲームをプレイしていました。
どうも、アローラ。ぴぃ高です。
どういうわけかウマ娘にハマった2月末からの一か月。今回はその後のお話となります。
奇しくも同じCygamesの関わるソーシャルゲームに冷水を浴びせられて一瞬鎮火したかに思われたウマ娘熱でしたが、懲役198時間を終える頃にはすっかり元通りになっていました。その理由がコレ。
はい。あれよあれよという間にライブまで行ってしまいましたこの人。
過去様々なコンテンツで同じように「ちょっとゲーム触ってみたからライブ曲知らんけど観てみよ〜」とか言ってズブズブと泥沼にハマっていったことをまさか忘れてはあるまいな?多分忘れたんだろうなぁ……
というわけで運良く握れた「ウマ娘 プリティーダービー 4th EVENT SPECIAL DREAMERS!! 」横浜公演 Day1。
左から推し、推しと同じ部屋、明らかにぴぃ高が好きそうな顔面、内外ともに小賢しい女
こちらの画像、ウマ娘歴約3か月の僕の「ウマ娘 だいちゅき度ランキング」なのですが、この日は3番目の竈門禰豆子、近江彼方人以外みんな揃っているという狙われたかのようなキャスト陣。特に左のふたりはナンバリングイベント初参加ということもあり、始まる前から期待値が高かったです。普段絶対やらない予習までして臨んだから「あ、これちょっと期待しすぎてるかな~」と思ったくらい。
そんな期待にしっかり応えてくれたこの一日。はじめて参加する現場特有のぽつぽつ湧いてくる「ここ良かったなぁ~」をオフィシャルレポートっぽく書き連ねていきます。
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会場物販から既にオタクで溢れかえり、コンテンツのパワーを感じさせる横浜、ぴあアリーナ。入場していちばん最初に現れたのは「あなたの同期」桐生院葵トレーナー。出走キャストには明坂さんの名前しか書いてなかったので初手サプライズ……だったんですが、明らかに葵ちゃん役の人間に見覚えがある。「誰だっけ……ノクチルの土屋李央じゃない3人のうち誰かなんだよなぁ……まぁ、知らなくていっか!w」
……後日市川雛菜役の岡咲美保さんということが判明しました。僕の中のノクチル、これでようやく2人目です。
GOD SONG
そんな「確実に見覚えがあるのにどのキャラクターか全く覚えがない」女性による開演前説明を「誰だっけ……コレ誰だっけ……」とモヤりながら開演を迎えた一日。
このコンテンツのキャラクターのアイコンとも言える「耳」のシルエットが遠目に見えてきて、雪崩れ込むように突入したオープニングナンバー、「We are DREAMERS!!」。
ファンファーレの音をトップバッターに持って来れる現場が東京ヤクルトスワローズ以外にあるんですか?そう、あるんです。ウマ娘と申します。
そんなファンファーレから始まるこの曲。「キミと見た夢がみんなの夢になる」という競馬というかウマ娘というか、「夢を託す、期待を託す」というコンセプトを一言で表すフレーズをドン、とぶち込んで世界に急激に引き込んで来るやり方。一瞬で顔面ウマ面、スイッチオン。
コンテンツライブの一曲目ってめちゃくちゃ難しいと思うんですよ。老若男女、コンテンツへの歴、コンテンツへの信仰度が違う人間を一発で会場内に閉じ込めないといけない。僕のようなウマ娘まともに触ったの2か月前です!ライブ知らんし曲も殆ど分からん!好きになった大抵のコンテンツ拗らせます!みたいな人間も絡め取らないといけない。ある種バンドやグループのほうが楽なのかもしれない。コンテンツライブ一曲目とはかくあるべしというものを見事に浴びせられました。
キャスト紹介を終えて前半パート。「曲の前フリに実況役が入る」ということに軽くカルチャーショックを受けながら突入していった、初披露の「RUN×RUN!」には筆舌に尽くし難い「序盤感」がありました。コレは一体なんなんだ……と頭を捻った挙句たどりついた答えがコレ。
全俺が人生でいちばん時間を捧げてきたゲーム。パワプロクンポケット。
その「パワポケ7」の一年目、「パワポケ9」のサクセス前半のBGM。この音、リズム。足して2で割った感じがめちゃくちゃする〜!!!とシナプスが繋がった瞬間を味わえました。
そして「ENDLESS DREAM!!」。
遂にやってきました、マイエンジェル、カレンチャンの出番。しかもドセンター。この日のために裸眼視力2.0のまま生きてきたのでスタンドからでも篠原さんの耳、リボンは特定余裕でした。この日のために東北の不適切球団の手先楽天から取り寄せた双眼鏡を装着した僕の視界に飛び込んできたのは一等星。いっとうせい???
アヤベさん???
いやいやおかしいおかしいおかしいって何コレ。今日観たいって言ってた2人一気に来るじゃん。ひっくり返るって。コレが世の中のカプ厨の言う「てぇてぇ」って感覚か……
カレンチャンのストレートな「私を見て」「ドキドキさせちゃう」というメッセージと、(実際に歌フリもそうだったし、1番のあとの煽りも。)ストーリー中盤を越えたあとのアヤベさんの暗みが晴れていった感じを表現するにはこの曲だなぁと思いました。
そんな推しまみれのキュンキュンとした胸の高まりを引きずったまま爽やかな火薬を投下しにやって来たのが「青春が待ってる」。そう。デイリーレースの曲。
ここで聴けるヤツ
この曲が唯一フォロワーに予習すべきとして送られてきた楽曲だったんですが、絶対僕の曲の好みも合わせた上で送ってきてますよね。シンデレラガールズのキュート曲好き好きマンなのでそんな香りのする曲大好き。
のちにMCでも触れられるのですがこの曲は完全にオリメン披露だったということで。どんなコンテンツでも「オリメンが揃う瞬間」って良いなぁ~と感じます。キャストさんのキラキラした表情何倍も増してるので。落ちサビ入りのファインモーション役の橋本さんとかホント良かった。え、オリメンが揃っているのにそれを干すコンテンツがあるんですか???うわぁなにをするやめ
お次はトロッコを召喚して披露された2曲、スタンドのすぐ近くまで来てくれて見やす~い!!!
実は「PRESENT MARCH♪」はウマ娘のアプリが始まる前から知っていた一曲。
ウマ娘について、「触れてから二か月しか経ってない」とは言っていましたが、数年前に何故か1枚だけCDを購入していて、そのCDのユニット曲がこの「PRESENT MARCH♪」。スーパークリークとハルウララ居るからワンチャン、と期待して良かった。
オタク・先見の明
「Enjoy and Join」はテイエムオペラオーとメイショウドトウの関係が見える間奏の掛け合いが良かったです。
そう、良かったです、がメイショウドトウの育成ストーリーを見ていると「これの先があるんだよなぁ......!!!」とオタクの拗らせを発動してしまうのです。ドトウのストーリーは、絶対「おおきく振りかぶって」が好きな人類は好きだよ。おススメします。
ナイスネイチャの新衣装仕様のポニテに「萌え~♡♡♡」を飛ばしたMCのあとはおかわりと言わんばかりにファンファーレが鳴り、「ユメヲカケル!」、ソロライブで何度か見たはずの鈴木みのりさんの、あくまでアグネスデジタルとして歌う姿に凄みを感じた「BLOW my GALE」、青色の光とリフト演出が印象的だった「Never Looking Back」を経て、ここから無慈悲な連続攻撃が襲い掛かります。
まずは「本能スピード」。
この曲にカレンチャン、偉いなんてもんじゃない。偉すぎる。偉さが天元突破して夏の大三角に届いたくらい。「誰より今 強く駆け抜けたら」をはじめとした歌詞を追いながら当日は篠原さんをずっと目で追っていたのですが、なんというかダンスや表情の節々から滲み出す「不敵な感じ」がまさにカレンチャンそのもの。アイムエンタープライズは憑依型声優の育成コースでもあるんですか?武から始まる少し長めのお名前の女性にも幾度となく敗北を喫してきたのですが。
カレンチャンというキャラクター。彼女に一目惚れに近い形でゲームを始めて、はじめての育成をしたとき、シナリオ終盤にかけて「なんだこの娘......ホントに好きかもしれん......」と鳥肌が立ったことを思い出しました。
後日このシーンに関してはちょっとした私信をいただいたのですが、そこでは篠原さんから「なんでも曲を自分のものにしてしまう、なんでも出来るカレンチャンを演じるのは毎回プレッシャーだけれど、その分楽しい」という言葉を頂きました。ステージからオーラのように伝わっていた不敵感は楽しんでいるからこその産物である、と知れてますます好感度アップ。僕はセイウンスカイじゃないので簡単に上がります。ぴろぴろぴ…
この顔好き
あ、これは後日アーカイブを見て気づいたんですがここにニシノフラワーも居たんですね、いや、なんでそんなことするの?(誉め言葉)気になる方はカレンチャンのストーリーを......
次の「Make debut!」。夏の大三角に届いたクソデカ感情は大爆発を起こしました。その原因は大三角を担うアドマイヤベガ。打者一巡してもう一度鳴り響いたファンファーレからの咲々木さんの「一等星の輝きを、トレーナーさんに、この勝利を捧げましょう」というセリフ。
ここで精神のキャパシティが危険値に達したことを知らせる音がして、この日はじめてカレンチャン以外に双眼鏡使っちゃった。この曲、ライブ前に1,2を争うくらい「聴きたかった」はずなのに音を浴びる以上に目で追っちゃってました。
終演後の女性声優のフォローカウント、+1。敗北。
精神が地球からベガに、そして大爆発を迎えて散り散りになった僕の欠片の一つ一つを丁寧に射抜いていったのが「逃げ切りっ!Fallin’Love」。ウマは逃げられるがオタクは逃げられない。あんなにカッコイイ姿を見せておいてカワイイで殴るのは良くないよ~。
このライブの3日前に立川で渋々小賢しい女性に指ハートを返却したのですが、この日は誠心誠意、心からの指ハート返却をさせていただきました。
𝓑𝓘𝓖 𝓛𝓞𝓥𝓔......
そんな精神破壊ゾーンを乗り越えてMCで一息つき、メジロ家による「メジロ讃歌」でひとしきり笑ったあとの「GIRL’S LEGEND U」でも引き続き推し観測会を行って(ここもカレンチャンアヤベさん一緒でう~ん、目足りん!となってた)、「NEXT FRONTIER」。この曲の感想はこれに尽きます。
山口朗彦
劇場でプロデュース業を行っていたころは大変お世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします。
そして「winning the soul」。
劇場でプロデュースの真似事をする某コンテンツで最後に観てから約三年が経過した女性と最近激アツのスクールアイドルコンテンツでぴぃ高的「世界”侑”ランキング」第二位のキャラクターを演じている女性によるバチバチの楽曲。矢野さんはあんなに踊れるのに虹ではステージで踊らないの嘘やん、と思うくらい足上がってるし、久々に観た齊藤さんは「あれ、あのコンテンツから離れてみるととんでもなく良く見えるんだけど気のせい?」と思わせてしまうパフォーマンス。圧巻のひとこと。
そんなトウカイテイオーとキタサンブラックが産み出した独特の空気で会場の温度が急激に上昇したところに「勝利」繋がりで突入していった「WINnin’5-ウイニング☆ファイヴ-」の爽快感は格別でした。ざわめく胸に溢れた注ぎたてのサイダーの音。実はこの曲めっちゃ好きだったりするらしい。
この日でいちばんキャラクター、楽曲ともに評価が上がったのは次。スマートファルコンによる「全速!前進!ウマドルパワー☆」。この日唯一のソロ歌唱となったこともありとても印象に残っています。ウマドルとして自分を磨いて誰かに見てもらいたいという気持ちがひしひしと紡がれていく曲。ソロ曲はやっぱりどのコンテンツでも良いものですね。なぁCygames。ファル子欲しいんだけど。この曲を歌う女のお話が見たくて震えています。軽率にチケットを配るか売るかしてください。
あ、実況席で撮影してるカレンチャンはしっかり見ています。スポット外れてからもしばらく実況席に居たよね、うん。いや、ちゃーんと見ててねって言われたので......
そんなファル子のステージのあとの「Ring Ringダイアリー」。レースを終えた後を感じさせる可愛さがありました。最後の齊藤、小賢しくないか???
ここまでのステージを振り返ったあとの、「グロウアップ・シャイン!」。この曲も「We are DREAMERS!!」と同じコンテンツのスタンスやコンセプトを表す楽曲って感じがしてとても好きなんですよね。最初の入りだけ全員で歌うのも歌詞にある「それぞれが星へと駆ける」というフレーズと合わさってグッと来てました。
「Go This Way」はこの日ウマ娘行くんやで~と言ったオタクに「見ろ」と脅されたのを思い出して前田佳織里さんをずっと見てました。ふ~ん、なるほどね。(オタク)前日に写真集で予習していたところは全く出ませんでした。現地では気づきませんでしたがアーカイブで最後にひっそりウィンクしていたのを抜いたカメラワークは非常にポイント高いです。
良い本でした、ファミレスで読んだこととその直後に別の女性声優を観に行ったこと以外は。
ん、会場のなんか雰囲気変わったな......
あれ、これ特殊イントロだよな......
なんかシルエットに小賢しい感じがするんだけど、これはもしかして......
「行こう、ダイヤちゃん」
「うん、キタちゃん」
脳が沸騰するってこういうことを言うんですね。
この日のキャストを見て不本意ながら真っ先に浮かんできた楽曲がこの「Ambitious World」でした。
曲調もそうなんですが「サトノダイヤモンドのシナリオを読んでからはじめてこの曲を聴いた」僕にとって歌詞に散りばめられた彼女のシナリオの要素がチクチクと刺激してくるてつのトゲみたいな曲になっていて「悔しいけど好き」な曲。多分この順序が違っていたら違う感想になっていたんでしょうね。え、なぜ悔しいかって?うーん、諸事情あって......
あとほかの曲以上にキャラクター二人が歌うことによって「仲間でライバル」の要素が強いのも推しポイントです。終始ニッコリしてお二人が歌ってたの良かったね。悔しいけど。
普段振らないペンライトブンブン振り回してたくらいにはブチ上がりました。俺の負けだよ、トノヤン(サトノダイヤモンドの略)。悔しいけど。
なぁ、お前……
最終盤にやってきた大きな感情を増幅させて閉じたのが本編最後の「大好きのタカラバコ」。いやこんなのエンドロール以外の何物でもないでしょ。ラストの曲の「格」ってものを感じました。
テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、ナリタトップロードをメインに据えた新作アニメーションの作成に沸き立ち入っていたアンコール。「走れ!ウマ娘」と「うまぴょい伝説」。という2011年の浅尾→岩瀬を彷彿とさせるリレー。
最後に篠原さんのトロッコに向けてペンライトを赤にしたらのけぞりながらこちらの方向に手を振ってくれたので勘違いさせていただきました。
新たに迎えた春に、新たに出会った新しい沼、ウマ娘。どうやらこの沼は思っている数倍深いようです。
アニサマでまた会いましょう。
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というわけで、ここまでオタクのライブレポートに付き合っていただいたのですが如何だったでしょうか。
全曲に何かしらの前向きな感想が湧いてくる感覚、コンテンツライブではシンデレラ福岡以来でした。完全初見の補正もあると思いますがホントに楽しかったんだなぁと思う次第です。
それと色んなところに視点を散らしてはいますが、結局のところ、「カレンチャンというキャラクターが、はじめてのナンバリングイベントで多彩な表情を観せてくれた姿に立ち会えた」という事実が大きすぎる。デカすぎて本人に直接メールしたくらいはデカい。いやぁ〜、ブログで定期的に文章書いてたのが活きたね。ナイス私信。
「あんなにウマ娘には手を出さないって言ってたのになぁ」と色んな人間に言われて少し落ち込んでいますがコレが今の僕の末路です。
ピンポイントに2人だけデカい感情を持ってしまったせいで楔みたいになってるコンテンツと、キャラクターもそうだけど今にも沈みそうなその船体まで惚れ込んでしまったコンテンツを抱えているせいで、「ストーリーを浴びて浅瀬でチャプチャプ萌えを摂取する」スタンスが取れるコンテンツに飢えていたんでしょうね。そこにすっぽりハマってきたのがウマ娘だった、というわけです。
まぁリアル競馬に手を出していないだけ歯止めかかってるのでいいでしょう。アーモンドアイ以外に賭けたことなし。
......歯止めかかってないのは声豚気質こっちです。
あの、助けて欲しいです。地元捨てたはずなのに相変わらず九州の女性の声に弱いのやめてくんない?ぴぃ高的「世界”侑”ランキング」第一位です。おめでとうございます。なんかよく分からない円盤も買っていたみたいですけど。いや、アレは別の推しを握られていてですね、ハイ。
というわけで5月末は大阪に行ってきます。おかしい……まだ負けてないのに……うう……
ーーー思い出のお写真コーナーーーー
やっぱりこの街外観は綺麗だよなぁ
物販で並べられていた呪物の数々
この日買ったもの。パンフレットだけのはずだったんですけど気づいたらコレ。
ペンライトコレしか持ってない
BIG THANKS…
何故か家まで着いてきた女。は?