ぴぃ・ダイアリー

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心が揺れた瞬間を、出来るだけ書き留めておきたい、そんな場所です。

「LIVE IN LIVE」~about CINDERELLA GIRLS

「どうしてこんなに 好きになったの」

 

 ふとした気まぐれで他所の畑を覗きに行ったつもりが、気付けばおよそ7年の付き合いになったアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツ。

 そんなコンテンツの歩んできた歴史に沿いながらも別物として存在する「僕だけのシンデレラガールズ史」も、コレだけ長い付き合いとなれば多くの変遷がある。

 

 最も分かりやすいのがアイドルマスターというコンテンツの「推し」に位置付けられる「担当」と呼んでいるキャラクターについて。今の僕が担当と呼んで(呼ぶことを自分自身に許して)いるのは喜多見柚、そして喜多日菜子のふたり。

 だけれども、4年ほど時間を遡ってみると、彼女たちに対して「担当」の「た」の字も発していなかった。様々な気まぐれやタイミングの噛み合わせの行き着いたふたりが、今の僕の「キャラクター」という視点で見たシンデレラガールズ

 

 そんな様々な変遷に対して、ほぼ(掘れば多分出てくるから、断定はしないよ、というニュアンスを込めて)ひとつだけ、長らく変わっていない視点が存在している。それがいちばん好きな「楽曲」というもの。

 

 それが「恋が咲く季節」


 第6回シンデレラガールズ総選挙という大きなイベントを経て、当時は「担当」ではなかった喜多見柚というキャラクターがはじめて歌った曲のひとつ。彼女を演じる武田羅梨沙多胡さんがあまりにもイメージ通りの「喜多見柚」で歌うものだからひっくり返った記憶とともに突き刺さったのが冒頭のフレーズ。

 

 好きなものやことに対して惰性で追い続けるのを良しとせず、好きである理由をしっかりと持ち続けたいという今のスタンスの萌芽が見えはじめたころ、かつ、シンデレラガールズというコンテンツ内で心底嫌な出来事があって距離を置いていたころに突き付けられた「好きの理由を問う」ような一節は強粘着の接着剤よりもピッタリと貼り付いて離れなくなってしまった。ここで作られた接着点がシンデレラガールズをもう一度追いかけるリスポーン地点となったのは言うまでもない。

 

 さて、ここからが本題。

 今回行った現場はTHE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS Twinkle LIVE Constellation Gradation」

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 「星」と「冬」をコンセプトとしたこのライブは、「好きになった」が故に抱いた喜怒哀楽の気持ちを色々とかき混ぜられるような2日間だった。2日間とも最後に著名アーティストをゲストに迎える大きなサプライズで「楽しい」という気持ちで上塗りしていったが、そのペンキを敢えて剥がして浮きあがった「喜・怒・哀」にフォーカスを当てて行こうと思う。

 

・ようやく聴けた「思い出じゃない今日を」

 

 このライブには、絶対に参加せねばならない理由があった。それが担当、喜多見柚のソロ曲「思い出じゃない今日を」の有観客初披露。

 約3年間、様々なエンターテイメントが感染症の影響を受け、その在り方を模索せざるを得ない状況にあったが、シンデレラガールズというコンテンツも例に漏れず規模縮小、無観客開催という手法を取ることになった。それが2021年のニューイヤーライブ、そして2022年、10thツアー沖縄公演。双方とも喜多見柚を演じる武田さんが出演キャストとして名を連ね、「思い出じゃない今日を」も披露された。

 

 この2つの公演、当然チケットは確保していた。にも関わらず、現地に赴くことは叶わなかった。まるで狙ったかのように、一度ならず二度も手からすり抜けていった「担当のソロ曲」を直接浴びる機会

 

 両日参加が出来ないという縛りのなか、究極の天秤にかけて「手放した」はずのもうひとりの担当、喜多日菜子のソロ曲「世界滅亡 or KISS」や、シンデレラガールズのコンテンツを追うなかで意地になってイベントを完走しきった「パ・リ・ラ」や「ラビューダ♡トライアングル」。

 コンテンツの中でも思い入れのある曲たちを次々と回収し続けた2021年からのシンデレラガールズ現地記録。そのいちばん最初に拾えるはずだったこの曲だけが最後まで現地で聴けずに残り続けているという皮肉めいた事実が、コンテンツの端っこのほうを掴み続けて離さなかった要因になっていたことは否めない。そんなモヤモヤも、この2日間で、きっと終わり。

 少し肌寒い、ドームと名乗るには他のドームに余りにも失礼なハリボテの欠陥構造物の中、「その時」が来るのをじっと待っていた。

 

 察しがついたのは直前の「Packing Her Favorite」の2番くらいからだろうか。理屈では説明できない、本能的な何かが「次の曲でお前は死ぬ」というアラートをキャッチして知らせてきた。そのときふと頭をよぎったのは、約一年前の福岡での似たようなシチュエーション。

 

 予期せぬタイミングで襲ってきた妄想少女のひとつの夢を描いた手記を読むかのような7分半、アイドルマスターという大きな括りで見渡しても2人しか残っていない大切なキャラクターの、彼女のために作られた楽曲を生で味わった体験。それをもう一度なぞるような時間が目の前に迫っていることを実感して、身体は長江さんをしっかり観て揺れているのに、脳内では次の曲ーその時点では確定していないけれどーのイントロが何度も反響して、少しずつ情緒が乱れていくのが分かった。

 

 そんな手の込んだ自殺の予行演習を何度か繰り返した頃だろうか。脳内で勝手に流れていたイントロと、会場内に響いた音源がピッタリと重なった刹那、この日の前の週、24曲分、あれだけ我慢できたはずの塩辛い液体が目からドバドバ出てきてしまっていた。

 

 初披露のときにこれほどかと言わんばかりに心を掻き乱されたシルエットを映すカメラワーク、初披露のときとは違って大勢の観衆のなかで少し走るようなテンポで歌う姿、少し遠めながらも肉眼で捉えられた数秒間の記憶、10周年記念アニメーションに引き続きトドメを刺してきた「また、明日ね」のひとこと。

 

 「キャラクターコンテンツなのに喋るキャラクター投票で決めるとか面白くね?なんか勝てそうな位置にいるこの子に入れたろ!」

 

 そんな軽い気持ちで投票した結果の声の主との対戦履歴に、ステージ上のキラキラと輝く色に似た星が刻まれることはこの日も無かったのである。

 

 

 そのあとの「DELIGHT」、沁みたなぁ〜……、

 


 福岡のときに次の曲の記憶完全に失くしてたから今回は「次の記憶残してたら勝ち」ってことにしてたので、「絶対次も焼き付ける!」という変な意地を持って観ていたこの曲も「パブリックイメージが元気で明るい女の子のアンニュイな姿」を描いたもの。振り返ってみると「Packing Her Favorite」からその流れが出来ていたことに気付いたとき、ステージから目を離すことが出来なくなっていた。

 期待と不安の両面を持った久川颯から、自らのイメージ以上に深く内面を掘り下げる柚、それに寄り添いつつ、引き上げるかのような本田未央による3曲のリレー。前後も含めて記憶に残る、担当のソロ曲を生身に受ける経験だった。

 


・アニバーサリーもテーマもなく、ただ星を描いて ~星環世界~

 

 会場を包みこむレーザービームとカウントダウンが聞こえた瞬間、思わず拳を高く突き上げてしまった。それがこの「星環世界」

 

 去年「この曲を回収するため」だけに予定が一切無かった愛知までわざわざ出向いたのだが、その理由の8割ほどを占めていたのが「喜多日菜子が歌唱メンバーにいた」ことである。

 

 シンデレラガールズにとってのひとつの節目、デレステアニバーサリーを彩るメンバーのひとりに自分が「この娘が好き!」と選んだキャラクターが入る

 個性を盾にした訳の分からない言い訳でサブスクをフルで解禁しないくせにキャラクター間の出番に明確な格差を産み出すような運営だから、きっとお鉢は回ってこない。

 

 望みながらも、半ば諦めていたことが現実に起きて、目を丸くしたこと、そして「妄想」という縦にも横にも立体的にもいくらでも広げられるワイルドカードを持つキャラクターに「宇宙」という無限に近い広がりを持つ概念をぶつけてきた解釈の一致は今でも覚えている。セルジオ越後並に斜めに構えてモノを見るスタンスの僕が去年褒めた数少ないシンデレラガールズの采配であった。

 

 そんな曲がたまたまその年の"デレステのアニバーサリー楽曲"だったから、そして公演の"テーマソング"的位置付けだったから、ここで聴かないと、次はいつになるか分からないし、出来ればこの「6周年イヤー」のうちに、喜多日菜子がゲームのタイトルを飾っている間に、この曲を拾わないといけない。そんなちょっとした回収義務のような気持ちを抱えて向かった愛知から一年。

 

 少なからず思い入れのある一曲が"テーマソング"や"アニバーサリー"の域を飛び越えて、シンデレラガールズの「星を彩る」楽曲群のひとつとして昇華されたことは素直に喜ばしい出来事だった。

 このとき思い出されたのは去年の10月の10th福岡での「Fascinate」9月のcg_ootdの「Kawaii make MY day!」。前者は喜多日菜子というアイドルのキーである「妄想」が世界を構築する力に鳥肌が立ったし、後者はメロウ・イエローという"かつての"担当アイドルのユニットの曲が、時間を経てコンテンツのライブのアンコールの楽曲まで育ったという純粋な感動を得た。

 ユニットやキャラクターを表すものとして「消化」されたものが一回りして、コンテンツのパーツに「昇華」される

 否定的な意見も多いけれど、少なくともこのコンテンツにおいてはそれを楽しめる立場にいることを実感した。

 加えて今回はその「昇華」するメンバーー今回の星環世界の歌唱メンバーーの中にもうひとりの担当、喜多見柚が居たこともその喜びに層を重ねていた。日菜子のパートを柚の声で聴ける。僕以外に得しないかもしれない、僕にしか需要のないかもしれない特別な瞬間を味わえるのがシンデレラガールズという、現状唯一の「複数の推しを抱える」コンテンツのライブの楽しみだなと改めて感じた。

 

・「ダイヤモンド」との和解


 ここからは少しばかり闇の要素を孕んでくるパート。

 

 一度手放したシンデレラガールズというコンテンツに対して、戻ってきてからというもの「過度な期待をしない」スタンスを意図的に保ち続けてきた僕が「引っ掛かり」を放棄していたものがあった。それが「ダイヤモンド・アテンション」という楽曲について。

 

 喜多見柚というキャラクターについて「楽曲」という側面から考えるときに、この曲をどう噛み砕いて、どう解釈すればよいだろうか。柚というキャラクターがかっこいい雰囲気を出すなら「Spring Screaming」のほうが好きだし、同じ「シンデレラガールズ劇場のテーマソング」という括りなら「TAKAMARI⭐︎CLIMAXXX!!!!!」がある。パッションという属性的な側面は後に「パ・リ・ラ」という曲がドン、と居座ってしまう。まるでガブ、カイリュー、サザン、マンダ、ドラパを使わず、フライゴンクリムガンを通せ、と言わんばかりの難問。これに対する回答をなかなか見つけ出せず、リリースから2年近く思考を放棄し続けていた。


 そのブレイクスルーとなったのがこの日の目玉とも言えるストリングスバンドパートで披露された「ダイヤモンド・アテンション」。

 

 深掘りをしていないとはいえ「担当の歌唱楽曲」だから、それなりの回数は聴いているからこそ、耳に馴染んでいたイントロを認めた瞬間の「うわっ…」と小さく漏れた声。喜多見柚の他の手札に無いこの曲の壮大で印象的なイントロを、弦楽器の生演奏というこれ以上ない形で示してきた。

 

 この曲が流れる、ということは立ち位置は真ん中。喜多見柚の歌うユニット曲で、迷わずステージの真ん中に視線を合わせる曲も他に無い

 

 そしてサビの「歌い続けよう 私が私で在る場所で」というフレーズ。どこか楽しそうないつもの柚のように歌うのではなく、どことなく力強さに重きをおいた武田さんの歌い方に、向き合ってこなかったこの曲が在る意味を見出すことが出来たような気がした。

 

 真ん中に立つ姿を観て、思い出すのは7thライブ、幕張公演のMC。「TAKAMARI⭐︎CLIMAXXX!!!!!」で「他の子のサポートのような立ち位置にいることが多い柚がセンターに立つ」ことの喜びを語っていた武田さんのMCで、フラフラした立ち位置に蹴りをつけて喜多見柚をちゃんと「担当」として向き合おうと決めたあのときから、喜多見柚が再び手繰り寄せた立ち位置ゼロ

 

 彼女は「思い出じゃない今日を」のセンチメントな内面だけではない。パッション、燃えるような内面も当然持ち合わせている。

 

 ひとりの女の子というより、アイドルとしての喜多見柚のアイデンティティの提示がこの曲に込められている。リリースから時間をかけてようやく、第一回答を見出したような気がする。

 


シンデレラガールズに残っている「不発弾」

 

 ここからは頭でちょっとだけ触れた「僕だけのシンデレラガールズ史」に少し踏み込んでいく。

 分かりやすい例として「推し遍歴」を挙げたのは勿論、僕自身がそういった気持ちの変化を経てきているからこそであって、その手放したかつての「いちばん」達に対して思いを馳せることは当然のように思う。

 そんな場所に位置付けられるキャラクターのひとりが、道明寺歌鈴。この日は彼女にとって大きな一日に、そして彼女から離れた僕にとって、積み残した荷物をおろす、という意味で大きな一日になると開演前は信じていた。

 


 しかし、その瞬間は、

 彼女のソロ曲である「満願成就♪巫女の神頼み!」が披露される時間は訪れなかった。

 確かに公演のコンセプトに照らすとこの曲のスペースが無かったのかもしれないし、次にもっと相応しい舞台が用意されているのかもしれない。

 

 ただ、それでも、2年半ほど前に彼女から離れた僕が、彼女を担当としてコンテンツに触れていた期間に叶わなかったソロ曲を手にして、それを披露する瞬間を観ることが出来たらそれで良い、と思ってこの日を迎えていた僕が、久しぶりにコンテンツに対して激情と言うほか無い、爆弾のような感情を持ってしまった。

 

 が、その気持ちは言葉にせずにそっと収めた。

 何故なら今の僕にそれを言う資格は無い。2年半の空白のある僕が、その間も彼女をいちばん大切に思っていて、同じようにこの日の、道明寺歌鈴のソロ曲の披露を心待ちにしていた顔も知らない誰かに代わって気持ちを吐き出すことは出来るわけがない。そう言い聞かせて、言葉の矛を収め、武装を解いてステージを見つめていた。できるだけフラットに、彼女に関しては、見たままを持ち帰えれるように。実際「Home Sweet Home」は圧巻のひとことだったし、そのほかの歌唱曲も素晴らしかった。

 

 そんな武装を解いた隙にやってきた「レッド・ソール」。意表を突いた選曲、意表を突いた人選で披露されたこの曲を歌いこなす新田さんの姿がこの日を終えてからも何度もリフレインして苦しめてくるくらいには刺さってしまった。まるで道明寺歌鈴というキャラクターに対してスキップした2年半を見せつけてくるかのような時間。連番者に気付かれないように、ひっそりと目を拭っていた。

 

 「どうしてこんなに 好きになったの」

 

 切り捨てたり、手放したり、逃げたり去ったりしてきたコンテンツに対する紆余曲折の果てに、それでも離しきれなかったものは「ふたり」だけだと自己暗示をかけるようにしていたからこそ、離れた何かに対して「怒」や「哀」が顔を出してきた自分に、いちばん好きな曲のいちばん好きなフレーズが痛いほど突き刺さってきた。この不発弾のような処理に困る気持ちが、いつか晴れる日を願っている。

 

・おわりに

 

 「LIVE IN LIVE」

 あるアーティストのライブツアータイトルに用いられたこの造語。「ライブの中でこそ生きる」という意味をこめられたこの言葉の通り、生き物のように感情が「喜・怒・哀・楽」に揺れ動くものがライブ、と実感した2日間だった。特に直近のcg_ootdが自分にとって大好きな曲、概念の詰め合わせのような、「楽しい」しか湧いてこないライブだったから、ライブ中に「怒・哀」というマイナスな気持ちを抱えるのも久しぶりで、とても不思議な気持ちだった。

 

 と同時に、この気持ちは「どうしてかわからないけど、こんなに好き」になったものがそれなりに積もってきたコンテンツだからこそ、この手の中にあるものだと感じた。一日目の終わりに告知されたSSRのシルエットがコンテンツの一番最初の担当、中野有香だったこともなにか因縁めいたものを感じる。

 

 アイドルマスターシンデレラガールズ

 いろいろ気に食わないことはあるけど、現状唯一、切れずに残ってるコンテンツとして、この付き合いはまだ続くのかもしれない。マジでサブスク何とかしろよバカタレ、全員にシンデレラマスター配るのがお前らの仕事だ云々言ってきたけどそれ以前の問題じゃねぇか

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 手を離したはずのものが、いまの気持ちを代弁してくれるように感じてしまうんだから、ね。

Forever,Forgive,(never)Forget ~「CUE!」4th Party 「Forever Friends」

・「Forever」

 

 この単語が、概念が苦手だった。


 きっかけははっきりと思い出せないけれど、中学生のときには英作文を作るときから意図的にこの単語を敬遠していたことは覚えているから、この拗らせが相当根強く重症であることは強く実感している。

 

 永遠という単語の曖昧なくせに、他に何も例える言葉がない絶対的なパワー

 ONE PIECENARUTOも「面白くないなぁ……」と読み飛ばし、BLEACHしか読んでいなかった若かりし僕の拗れた心の中の藍染惣右介が「あまり強い言葉を使うなよ……」とストップをかけたとしても仕方がないと思う。

 

 だからこそ「Forever Friends」という楽曲を引っ提げて、大切にしてきた「CUE!」というコンテンツの水が合ったのは、自分でも意外だったな、と感じている。

 

 11月19日、その「CUE!」のラストライブ「Forever Friends」が開催された。

 

 好きになった概念は数多くあれど、その「好き」がちょっと「LOVE」や「LIKE」の一言でまとめられないくらい陰陽織り交ぜた複雑な闇鍋感情になって、ある程度自分の中に染み付いたコンテンツの「終わり」をリアルタイムで見届ける経験は無かったから、この気持ちがどう消化されるのかを、宣告された7月からずっと想像していた気がする。

 

 実際にその日を迎え、その終わりの中に身を浸さないとわからなかったことや、得られなかった感情がそこにはあった。

 「LIVE IN LIVE」

 とあるバンドのツアータイトルで用いられた造語だが、「ライブの中に生きる」とはよく言ったもので、この日このシチュエーションで、僕じゃないと得られない感情があることを強く実感した一日のこと。

 型通りのライブ・レポートではなくて、自分の気持ちに焦点を当てて書いていこうと思う。

 

・「引き算」

 

 数多くの概念を好きになり、自己紹介カードの「手札」が増えてきた2022年。

 ただ、手札が増えたということは、手から溢れていくカードが必ずある、ということである。たとえそのカードが長い時間Tier1に君臨し続けてきたものだとしても、時間が経てば手から離れていく。2月にとある大きな手札を捨ててから、そんなことを考えるようになった。

 

 そして7月、「CUE!」というカードも手札から外さざるを得ないことになる。この「引き算」の辛さ、2月との圧倒的な違いはその「満たされなさ」にあった。コンテンツの進みたい道と、僕がコンテンツに進んで欲しかった道との隔たりを目の当たりにし、納得して手札から落とした2月の出来事とは違った哀愁があった。

 

・「薄くなる」

 

 「今日は人生で最後の「薄いほう」を振る日になる」

 この日、会場に向かう道を歩きながら、こんな感慨に浸っていた。

 

 「中の人の推しと、キャラクターの推しが、一致するわけではない」

 何かのコンテンツをそれなりに並行して追っている人なら、僕のこの感覚に心当たりがあるかもしれない。言い換えれば「この人が”このキャラクター”を演じているときは、中の人の推しが居ても目を奪われてしまう、絶対に勝てない」という立ち位置のキャストが存在する、ということ。

 

 CUE!というコンテンツにおいて、六石陽菜役、内山悠里菜さんが僕にとってその位置に当てはまる。

 

 陽菜というキャラクターとの出会いが引き金となり、その派生として「CUE!のリアルイベントを体験する前に」ふらりと立ち寄ったのがDIALOGUE+。そこでパフォーマンスにギュッと吸い込まれたのが「濃いほう」宮原颯希さん。という時系列で触れたが故にこの歪な気持ちが存在している。

 

 陽菜というキャラクターを演じているときの内山さんの声、演技、ライブのときの振る舞いは、CUE!という「コンテンツの中の世界」と現実の境目を曖昧にして浸るためには、僕にとって不可欠な要素だった。

 

 10月、DIALOGUE+「puzzle」東京公演。

 濃いピンクのTシャツを纏いながら、久々に内山さんの姿を映像で観たとき。

 そして本人のTwitterアカウントから「11月19日は、出演する予定です」という報告がされたとき。

 

 六石陽菜というキャラクターを介してCUE!という作品を最後の瞬間も享受できそううだ、という事実で、ようやくコンテンツの終わりを真正面から受け止める覚悟が完了したような気がしている。

 

・「橋渡し」

 

 ついに迎えたこの日、会場に着き、何人かの友人と顔を合わせた。

 先に触れた「手札から溢れた」コンテンツをきっかけに知り合ったはずの一人に渡した1枚のCD。それをきっかけにこの「CUE!」というコンテンツの最後の晴れ舞台を共に見届けられる繋がりが出来ていたことに、軽い冗談を挟んだ会話の裏側で、ちょっと感慨深くなりながら入場した。

 

 1曲目の「はじまりの鐘の音が鳴り響く空」から、本編最後の「ミライキャンバス」まで、すべての曲が、内山さんの一挙手一投足、一発声がじわじわと涙腺を刺激してくる。

 アンコールの「Forever Friends」まで、今までこのコンテンツのライブでは体を大きく動かして楽しんできたのに、いつもは持たないペンライトを持って、いつもより控えめな振りしか出来なかったくらい、ひとつひとつの曲の重みを、「これが最後だ」という重みを肩に感じながらあっという間の2時間半。ずしりと重たい肩を、まるで引退試合を迎える投手のように振り上げ、薄いピンクに光らせたペンライトを掲げ、手を振って会場を後にした。

 終演後、友人たちを待つ一人の時間。頭の中でさまざまな思い出が巡っていた。死ぬ前の走馬灯は一生分の記憶を巡らせるとはよく聞く話だが、それを仮想体験するようなだいたい5分間。

 

 ほかのゲームをプレイしながら参加していた通話で不意に耳に入った楽曲、

 ある野球選手と同じ名前のペットがいるから、という理由で推しはじめ、

 たまたま徒歩5分圏内にコンテンツを知っている知り合いに恵まれ、

 はじめて触れた「配信ライブ」という文化。

 上京し、「この人たち、知ってる!」というノリと勢いで飛び込んだDIALOGUE+、

 アプリのサービス停止、

 お盆の帰省の予定を取り下げて参加した2nd Party、

 いろいろ思うところはあったアニメ展開、

 世界観の掘り下げを楽しんだリーディングライブ。

 

 九州の端っこでほんの少しの情報だけをかき集めていた時期、そして上京してからの一年と半年、熱を持って接していて、今は前線から足を洗ったいくつかのコンテンツと、今掘り下げている「新しい好き」との間で、アプリの停止という冷や水を浴びながらも、平熱を保ちながら好きで居続けたCUE!。このコンテンツが果たした、「壮大な橋渡し」の、何一つ欠けても、今の自分は形作られない。会場を出てから手元に残った感慨と、友人たちが拾って持ってきてくれた手元の銀テープがそのことの何よりの証左だった。

 

・「Forever Friends」

 

 好きになれなかった「永遠」という概念を、あろうことか思い切り振りかざして襲い掛かってきたコンテンツとのおよそ2年とちょっとの付き合いの幕が下りて、少し時間が経った今。

 今回のパンフレットをパラパラとめくっていると、今までのライブや、朗読劇に行くたびに買ってきたパンフレットにはない、「ここまで一緒に歩んできたキャラクター、コンテンツ、仲間」に対する、少し読み手の悲壮な気持ちを掻き立てる項目があった。その質問に対して「これから」のことをキャストの皆さんは回答していた。

 

 「永遠」とは、確定していない未来に対して、「わからない」と切り捨てるだけでなく、「こうなってほしい」と想像する余地も含んでいる。

 それならば、僕だって何度も想像してきたことだから、既に「永遠」という概念は受け入れられるようになっている。そんな気付きを得た。

 

 「○○が無くなっても、私の中で一生生き続ける」

 

 「永遠」という概念を想像したときに一番最初に浮かんできたこの台詞を、いずれ僕が言える日が来る......かは分からない(多分言わない)が、CUE!の中のキャラクターが、どういう歩みをしているのだろうか、と少し想像する、そんな「永遠」くらいなら、自分に許してもいいんじゃないか。

 それと、コンテンツを通して広がった人の繋がり、橋渡しの先に出会った、新しい「好き」。これもどこまで続くかはわからないけれど、一旦は、「永遠」にカウントしていいんじゃないかな、とぼんやり思っている。

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 あらためて、CUE!との出会い、終わりまで見届けられた幸運に感謝を。

 

女性声優を観にアイドルフェスに行った僕が気付いたら北国を掘削するモグラになっていた件 〜今更戻れと言われても、もう遅い~

  • んとなく、避けていた。

 

 そんな感覚が無かったと言えば嘘にはなる。

 

 それがTIFというイベント、

 もといアイドルフェスという概念であった。

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 遡ること2015年8月31日。

 ひとりのオタクが死んだ日。 

 いや、転生することを決めた日と言えば良いのか。人生ではじめて(厳密に言えば2人目なんだけど、当時のゴミカス野郎僕は推しランク付けをしていたので思い入れの強さ的に)「人」に魅了された経験の引き金となった存在が、アイドルを卒業した。

 

 アイドルにとって「絶対的な幕引き」を味わった後にそのグループをテレビで観たときに得た「何も観るものが無い」という虚無感は当時16歳の心に癒え難い傷を刻んだのである。

 

 その逃避先が”ひとつ落ちた”2次元コンテンツ。

 のめり込んだ理由は間違いなく「終わりのリスクが少なく萌えを享受できると思っていたから」という一点に尽きる。

 (まぁ、触ってみたらいちばん最初に支持者の多いアイド…とかいうモンスターコンテンツ触っただけであって、実態はボロボロ終わるしボロボロ無くなっていったんですけどね……)


 それからずいぶん長い時間が経ち、「画面の中の女の子、可愛すぎ大問題」の答えを求めて色々な現場に行くようになって、気付いたら画面を覗いている時間よりアクティブな時間が増えていった。

 ここで特筆すべきなのはDIALOGUE+だろう。CUE!という存在が補助輪になったとはいえ、「画面を介さず、前情報も殆どなく、実際に足を運んで好きになった」久しぶりの感覚を味わったグループ。活動の過程でアイドルと絡むことも多く、対バンという形でご無沙汰になっていた概念を目に入れる機会もあった。

 

 そんな少しずつ梯子を外していく段階で、DIALOGUE+が参加することになったのが去年のTIF。僕はこのイベントを干した。

 割と家から近い現場を干してまで向かったのは福岡、シンデレラガールズ10thツアー。

 身体の流れと逆行して心が向かった先で、自分でも訳が分からないくらい「2次元のアイドルに」大泣きしてしまったこの日は、読み替えれば「TIFを干して正解だった」と迷わず認めてしまった日でもある。

 一度投げ出したアイドルという概念を、好きになることは無いんだろうな、好きになろうとするとブレーキがかかってしまうんだろうなという思い込みがあった。

 


 それから年が明け。

 


 ウマ娘を皮切りにはじまった新鮮な好きの連鎖、その傍らで雪解けが進行していた。

 だいたい7年ぶりに参加した(22/7は…どう分類したら良いか未だに分からんのでノーカンで…...)アイドルのワンマンライブ、身内が推している「虹のコンキスタドール」の日本武道館公演。

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 様々なアーティストがひとつの区切りとして定める特別な場所で歌って踊る彼女たちの姿は「あ、コレがキラキラしてるってことか」と思わせてくれるものだった。言語化は難しいけれど、なんか"良い"、"感動する" というニュアンス」という意味合いでのこの「キラキラ」という表現は、漠然とアイドルを推して過ごしていた7年前には浮かばなかったものだった。

 アイドルという、意図的に避けていた概念にまだ感動できる自分が居ることに気付けたこの日。確実に2022年のターニングポイントだった。TIFに行こうという決断の背中を押した要因の2割くらいには確実になっている。

 


 じゃあ他の8割はなんだって聞かれると言葉に詰まってしまうんですが……

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 ッスウ──────。

 女性声優を観にアイドルフェスに参加する異常成人男性、爆誕ー。

 

 これについて言い訳させてもらうと、2022年、実はターニングポイントが無数に存在していて……

 その中にあったのがカレンチャン篠原侑さんとの出会い。

 好きと好きが重なった場所で会いたいという天才的フレーズが9月に八城雄太大先生によって発明されたので使わせて貰うが(リンク貼ろうとしたらまだキュートしか無いのね......)、TIFはまさに「好きと好きが重なった場所で会いたい」ために手を尽くした一日だった。いや、「尽くさなかったら観れなかった」が正しいか。フェス形式のイベントに参加したことがある人なら分かるかもしれない。超人気グループと同じ時間帯に好きなバンドやらグループやらを重ねられたときの少しでも前進するために耐久戦を仕掛ける気持ちを……

 そんなこんなで大体10時間くらい待って見届けられたウマ娘、清the楚という表現がピッタリハマる夏限定衣装(アレもう見れないの?人類の損失だと思うんだけど)に身を包んだ篠原さんを観てこの日の全てを許したのでやはり推しというものは偉大なのである。

 なんだかんだで坂道(乃木坂とか欅坂とかの〇〇坂って名前の人達ね、僕の付き合いの範囲だとこの呼称ワンチャン知らなさそうな人いるから)オタクのお兄さんに荷物番を頼んで見たHOT STAGE(割とアイドルから離れてた僕でも知ってるような人達が立つしっかりしたステージ。ハコは小さい。)のDIALOGUE+も、いろいろ複雑な気持ちがあったとはいえ楽しかったし。

 

 そんなウマ娘での過酷な体験を終えた時点で当初立てていた予定は残すところ一つ、フジテレビ屋上のSKY STAGEのトリを務めるDIALOGUE+をもう一度観るだけ。とはいえ、それだけでは折角のフェスなのに寂しいよね、ということで。この日の途中から合流したオタクと早めに会場に乗り込んで、名前も聞いたことのないグループの知らない曲でも浴びながら振りコピでもしておくか〜、とヘラヘラしていたのだが。

 

 その目論見は、とあるグループとの出会いにより、一気に崩れることとなる。

 

 フェスと言えば、分かりやすく、「熱」と「旬」を詰め込んだセットリストを組むもの、という固定観念にドロップキックを浴びせられた。いや、「熱」は詰め込まれていたが、色が違う、というのが正しいか。例えていうなら、ガスバーナーの赤い炎と青い炎のような違い。夜を吹き飛ばすかのような、真っ赤で熱いセットリストで挑んでくるグループが多数を占める中に、まるで夜を"飼い慣らす"かのようにバラード調の楽曲を3曲叩き込んでいった名前も知らない4人組

 「バーナーの青い炎は赤い炎より熱い」とは小学校の理科で習う定説だが、彼女たちのステージはまさにそれ。色は違えどしっかり熱いパフォーマンスはお目当てのDIALOGUE+がやってくるまでの記憶が吹き飛ぶくらい強力な余韻を残していった。

 

 この日帰ってすぐ、ケモ耳を付けた女性の画像に舌鼓を打ちながら(顔の良い女性の画像は栄養になるので表現として正しい)やったことと言えば、あの4人組の正体を探ること。特にポニーテールを揺らしながらステージを無尽に駆け回って、ところどころ印象的なシャウトをしていたあの子。タイムテーブルを頼りにTwitterを探索し、その正体に辿り着いた。


 「タイトル未定」

 

twitter.com


 北海道を拠点に活動するこのグループを認知したこの瞬間。令和4年、流石にもう訪れないと思っていた「新しい出会い」という括りでのターニングポイントが急に舞い込んで来たのであった。

 

 そこからはまるで、1年前の4月の僕を巻き戻しているかのような沼への浸かり方、いや、どちらかと言うと"掘削"という表現が正しいか。モグラが地中を掘り進めるが如く様々な情報を集めて行った。すると次々出てくる「あ、コレは僕、このグループ好きになるかもしれん……」と納得してしまう要素の数々。

 

 まずはアイドルという存在にとって欠かせないビジュアルとパフォーマンスTwitterの自己紹介に書くほどだった「性癖:外ハネショート」という属性。それを貫通してきたのが先述の「ポニーテールを揺らしながらステージを無尽に駆け回って、ところどころ印象的なシャウトをしていた」子こと、阿部葉菜さん。

twitter.com

 公式のYoutubeや過去ツイートを探索しているうちに、自らの弱点属性を再考慮して「タレ目」に変えるかを真剣に検討させられてしまったくらいしっかりと刺されてしまった。特性:かたやぶりにカウンターを食らうモグラさん......

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 これがないとお話にならない、という要素、楽曲

 二次元コンテンツを追っている時間が異様に長くなってしまった人間の性として、どうしても女性が集団で歌う曲というものに舌が肥えてしまうのである。”声”に関しては流石に分があるので。

 「作曲編曲、だいたい変わらんなら声が安定してるほう聴きたいよね.....」

 「多様性のあるアイドル楽曲を聴きたいなら、三次元に戻る必要も無いのかな」

 

 7年間のアイドルに対する空白の原因も元を辿ればここにある。(はじめてミリオンライブに触ったときとか世界最高アニメーション、ハナヤマタの主題歌を聴いたときの気持ちは今でも忘れられません......どちらももう聴けるか分からんが。)

 だからこそタイトル未定が、TIFのSKY STAGEで、しかも「旬」や「熱」を届けるグループがほとんどであったフェスで繰り出してきた3曲がすべてバラード調だったことに「これは何か違う、絶対に手札を大量に持っていて、”野外”、”夜”、”最終日”というシチュエーションに沿った選曲をしたはず」という確信めいたものがあった。

 その確信は、僕の中では正解、という結論に至るまでに時間はかからなかった。 

 

 サブスクリプションサービスのオススメの一番最初に出てきた楽曲、

 ”2021年、アイドル楽曲総選挙”6位の楽曲、

 それがこの「鼓動」

 

www.youtube.com

(サブスクは各社あるので探してください。)

 

 やっぱりフェス向きの手札あるじゃねぇか!というツッコミと同時に浮かんできたのが「これ絶対鍵盤が基本編成に入ってないバンドの誰かが作ったよな」「シンプルな編成でも十分成立しそうだ」という感想。

 正解はTRIPLANEのボーカル、江畑兵衛氏。アニメ・メジャーの「心絵」のロードオブメジャーじゃないバージョンを歌ってる人たちと言えば伝わるだろうか。確かに鍵盤が居ないので、11年もBase Ball Bearとかいう変態バンドを聴いている変態の耳は伊達じゃなかったらしい。

 初めて聴いた曲なのに、妙に耳に馴染む。この「鼓動」からスタートして全曲を聴き終わった頃にはすっかり無限ループが始まってしまった。特に「蜃気楼」→「鼓動」→「黎明」という2005年千葉ロッテマリーンズのYFKを彷彿とさせる3曲は今ではすっかり目覚めの支度に欠かせないセットリストになった。

 

 そして最後に触れざるを得ないのは、自分との共通項

 

 ここまでは分かりやすい、一般的な「良さ」を語ってきたのだが、結局のところ、「共感」できるところがなければ、何かを好きになるのは難しいと思っている。え、地元は日本の南と北の端っこで正反対、出会って間もないお前とアイドルの間に共通項なんてあるわけないだろ。そんなこと言うなかれ。ちゃんと存在している。


 そう、鼓動はアイドル楽曲総選挙6位。

 


 ……6位?!

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 僕も障害(物)競走なら6位取ったことがあるんですよ!!!!!!!!

 

 というのは冗談で。

 グループに対する掘削の途中で見つけた、阿部葉菜さんのnote「葉月記」。

 

 僕が知る前のグループの遍歴であったり、彼女自身のことであったりを少し踏み込んで伝えてくれる内容。最初は割と素直に「へぇ〜」とか「そうなんだ〜」という無知ならではの感想を持っていたが、読み進めるうちに湧き上がってきたのは、「7年前までの僕は何も考えずにただ出されたものを受け止めてアイドルという文化を享受していたから、発信する側のことを何も考えていなかったんだな、」というマイナスな感情。抱かなくてもいい余計な気持ちを持ちがちな悪い癖はいつまでたっても抜けないんだな、と少しばかり心の澱みを感じながら文章を読み進めていた。

 

 そして過去の記事も終わりに差し掛かったときに、目に入ったのが#17。

note.com

 

 タイトルで「斜構」なんて言葉を使う人間、僕らのグラウンド(二次元よりのオタク共の総称)以外にもいるんだ、という驚き、僕のスタンスを的確に言い表す言葉を選択するセンス、僕があるキャラクターに対して抱いている感情に非常に似ている「あこがれ」に近い気持ちを感じさせる内容。この文章が”人”に惹かれる決め手だったのかもしれない。

 アイドルのnoteは危険。読むと抜け出せない物質が確実にある。7月までの自分に伝えておくべき言葉があるとするならば、コレ。

 

 そしてダメ押しとなったのはこれ。

 

www.youtube.com

 この1本の動画が先述の変態にはリーサルだった。

 

 アイドルネッサンス、というグループを知っている人は流石に僕の交友関係では森くんくらいのものだろう。残念ながら既に解散してしまったグループなのだが、この「前髪」を含め多くの楽曲に携わっている人物がいる。

 ここまで引っ張れば察しのついた人も多いはず。

 そう。Base Ball Bearのボーカル&ギター、この世で僕が最も敬愛するサウンドイカー、小出祐介である。

 初めて聴く楽曲しかない、と思っていたら一番身近な音楽がすぐ近くに居た、というびっくりの大展開。どれくらい驚いたかというと、九州出身の女性声優を集めたイベントで推し二人横に並べられたときくらいひっくり返ってしまったこの動画。11年好きな音を、敬意を持って、懸命に、丁寧に歌い上げる彼女たちの姿。新しい好きの手札が増えることに遮るものは無くなっていた。

 

 ターニングポイントとなったTIFから約1か月。

 割とずっと楽しみにしていたラブライブ・虹ヶ咲のライブの直前に、連番者に頼み込んで無理矢理ねじ込んだ、みなとみらいのライブハウスでの2回目。TIFの最後方から大前進して、しっかりと表情まで味わった。

 そして翌月、白金高輪での3回目。「蜃気楼」→「鼓動」→「黎明」のリレーが現実になり、思わず飛び上がってしまった。

 気づけば11月も何度か観に行こうとしているし、人生初の北海道上陸の計画も立ててしまった。モグラの掘削は止まることを知らないのである。

 

 なんとなく、避けていた。

 

 そんな自分が居たことのほうが嘘のように思えてしまうような出会いが、2022年、夏、確かに存在した。

 

 

 

 

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 と、ここまで書いてきれいにまとまったな、と思いつつ、歌詞について一切触れてないことに気づいたけどまぁ、良いかな......

 歌詞も割と癖の一部なんだけど、理由はBase Ball Bearを好きな理由と近いので。

 

 というわけでオマケのコーナー。

 

 7年ぶりにアイドルを好きになったわけなんですがその頃では知らなかった文化について。そう、特典会です。

 

 8年前くらいの某秋元氏のグループの握手会(なぜ推しに行かなかったのかはいまだに謎。レーンが空いてたんだろうね)やコロナ渦前最後のイベントだった鈴木みのりさんのリリースイベント以来(ちなみに濃いピンクがイメージカラーの女性との接近は今回のギリギリ後だった)に、ステージの上の人に何か直接言葉を伝える機会だったんですけど、「接近戦の心得を学びたい」という接近イベントに臨む前の心構えを記したオタクの名文を読んで待機していたらあっという間に阿部さんの前にいて。オンラインの数倍緊張してましたね。伝えたかったTIFの感想カミカミだったので。

 

 ただこの時間、とても楽しかった。僕の先を行ったモグラが毎回大量に写真を撮るのも分かるなぁという気持ちです。この日のライブのログの代わりにもなるし。

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 (このハンネはその......発音の綾というか......どこかのラジオで使ってるハンネ伝えたらこうなって......)

 このチェキも今後増えていくんだろうな~と思うとなんというか、その、、、

 まぁ、いいか!

 

 というわけでおススメ楽曲。

タイトル未定 | TuneCore Japan

 このリンクから飛んでください。はい。全てあります。

 僕の知り合いなら多分「蜃気楼」みんな好きそう。

 僕は「黎明」「綺麗事」を推します。ぜひBGMにでも。

 

一年を超えた「好き」に改めて向き合った一日 ~DIALOGUE+「puzzle」東京公演

 何かを「好き」というその熱量が、冷め切る前に1年が経過することはとても難しいことだけれど、その1年を超えれば、確実に自分の中で、揺るぎない気持ちが出来ているはず。

 

 気付けば長くオタクとしての生涯を送っている僕の実体験に基づいた持論がコレ。

 

 対象がコンテンツであれ、人であれ、キャラクターであれ、少なくとも一年間、何かを好きであり続けることができれば、自分なりの解釈やスタンス、それらが出来るまでの「物語」の3つが揃った状態になる。この物語というのは言い換えれば、この文章の"恥ずかしいのでそんなに読んで欲しくない箇所"にある「どうして、どのように好きになっていったのか」という過程。それを「推し」と呼んでいる概念に対しても当てはめていくアウトプットの作業のことである。

 

 今回、そんなアウトプットをしていくのはDIALOGUE+というグループに対して。実は今年の1月以降、そこそこの回数ライブに参加しておきながら、それぞれに対する気持ちの整理を書いては消し、書いては消しを繰り返して結局纏まらずにお蔵に閉じ込めていた気持ちを掘り返しつつ、今回のワンマンライブ「puzzle」についても触れていきたいと思う。

 

 

 DIALOGUE+というグループにはじめて勝負俵越しに向かい合い、張り手の一撃で国技館の枡席まで吹き飛ばされるような衝撃を受けた2021年4月。

 それからの10ヶ月はほぼ「コレが良い」「ココが好き」に終始した感想しかあげていなかったな、と僕自身も感じている。いや、それがファンとしては真っ当な在り方なんだろうけど、好きになった何かしらにコンプレックスを持っていないとどうやら落ち着かない性分、いわゆる"斜構"と呼ばれる人間にとってこれは大変珍しいことで。

 自分の心に波風がほとんど立たずに一年が過ぎていく推し概念なんて今までにあったかな?と平和なツラをしていた。

 

 そんな気持ちに、少しだけブレーキがかかったように感じたのが3月6日。11か月目。どうやら一年の壁は簡単には超えられないようだった。

 この日のライブ「タイバン」で不自然に途切れ途切れに聞こえる音、そして「ワンマン」直前の不参加のお知らせ。このグループを観に行って、開演の準備が整うと、とりあえずビール、と言わんばかりに必ず照準を合わせる存在である宮原さんがこのライブのステージにいなかった。

 推しと言えるべき存在がステージに居ない、どこを観ていれば良いのか分からないという感情と、居ない宮原さんが心配だという気持ち、それでもパフォーマンスを届けたい、という7人の熱量で披露される楽曲に正直に反応してしまう身体

 

 「箱でも推せる、推してる、と思っていたのに、推しが居なくなった箱の空虚さ」を仮想体験させられて居た堪れない気持ちになったこの日、はじめてDIALOGUE+に関わる事項に対して自問自答する機会が訪れ、明確な結論を出すことが出来なかった。出なかった設問は「どんなDIALOGUE+が好きか」という点。何度かグループをテーマにブログを書いたのにその観点は書いてないんだなと、ちょっとした自責の感情が芽生えた。

 

 4月の「タイマン」、5月のサンリオピューロランドでのライブではそのことを少し忘れて楽しんだが、急にそのことを思い出したのが6月。内山さんが活動をお休みされて以降、再燃した自責の念は無意識にグループの活動を追いたいという気持ちから僕を遠ざけていた。リマインダーをつけて観ていた動画は殆ど観なくなったし、LINE MUSICのキャンペーンはアプリのインストールすらしなかった。イベント事も何か不思議な力が働いているかのように遠ざかっていた。オンラインお話会は予定が重なって参加できなかったし、朗読「世界はこじつけでできている」は突如実家から呼び出され、チケットを持っていた夜の部の時間には火山灰で異様に視界の悪い土地の上空に居た。

 

 他の「好き」に対する"光"のような文章を産み出し続けているように見えて、裏でひっそりと育成されていた"闇"。それが表面化しなかったのは定期的に音を浴びるだけでも、と足を運んでいたからだと思う。隣で並んでいた坂道ファンのお兄さんたちに頭を下げて見届けたTIFメインステージ、オタクになったきっかけの作品の主題歌という最強の矛を持って襲い掛かってきたアニサマ。それらで浴びたDIALOGUE+の音は、3月に「一年を間近にして止まっていた」ように見えていた歯車が「鈍くなっているだけでしっかりと動いている」ことを実感させてくれた。鈍いながらも、現場に行くことで「好き」という気持ちの歯車を回し続けていた半年間。気付けば出会いから一年はとうに超え、次の一年も半分を過ぎようとしていた。

 

 10月9日、久しぶりに参加したワンマンライブ「puzzle」。

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 立川という土地に来るたびに降る雨は、鈍くなった歯車にさす潤滑油のような役割を果たしていたのかもしれない。

 そんな気持ちを呼び起こすくらい、この日のDIALOGUE+のライブは素晴らしいものだった。ステージに立ったのは6人。活動休止中の内山さんだけでなく、いつもダイナミックな動きと、アクセントのある声を振り撒いてステージを跳ね回っている緒方さんも居なかった。それでも6人で音楽を届けるという決意は、フラフラとした気持ちを抱えて会場にやってきた僕を漁師のモリのようにひと突きで仕留めた。それがこの日のトップバッター、「あやふわアスタリスク」。

 

 曖昧な現在の立ち位置を歌ったこの楽曲、この日このライブが始まる前の、楽しみだけれども、言語化しにくいモヤモヤの中にいた僕の状態をDIALOGUE+の既存曲で例えるならコレ、というベストアンサーを初手で叩き付けてきたのだからたまったもんじゃない。余計な感情を全て投げ捨て、この日この瞬間の、DIALOGUE+のライブを楽しむ顔付きが出来上がるまでに2秒とかからなかった。

 

 さて、ここからはライブ自体の感想。

 この日は席の位置の妙というべきか、今まで見たことのないような視点からDIALOGUE+のライブを味わった。正面から見ていたフォーメーションの変化を下手の端っこから観ると、「あ、この曲ってこんなに縦にも動いているんだ」とか「人と人の間を避けるように通り抜ける振り付け、簡単そうに見えて物凄い動いてるんだな」とか、今まで観てきたライブの思い出を頭の中から引き出して、円盤のマルチアングルの特典映像を見ているような気分になった。

 

 僕が宮原さんのライブパフォーマンスに惹かれたポイントのひとつに、奥行きのある動きというものがある。ステージを横幅いっぱいに使う動きが分かりやすく評価されるのが「ダンス」という営みだと勝手に思い込んでいるのだが、そこに縦の動きが入って立体的に見える感じ、と言えば良いのか。正面の画角からでも感じられるこの「好きポイント」は、横から観ることにより2倍にも3倍にも強調されていた。「恋は世界定理と共に」のCメロあたりの社交ダンスのような振りとか。ここ、振りコピして右手と左手をいい感じに重ねて一緒にダンスする幻覚を見るの楽しかった。

 

 この位置だから目に入ったという観点からすると、この日は稗田さんの日、と言っても過言では無いくらい際立っていた。一曲目の歌い出しは流石に目を向けちゃうよなぁ〜と思っていたら何度も何度も視線が向いてしまうこの感覚。「いや、俺は負けてないが……?!」と言い聞かせながらステージを見つめるのはいつ以来だっただろうか。熱を込めた歌っているときの表情や、客席に目を向けてウンウン、もっと来いもっと来いと煽るように頷く様子が好きだなぁ、と思った。演技の弱点(僕の秘孔、ツボみたいなもの)を突いてくる事務所がアイムエンタープライズなら、パフォーマンスの弱点を突いてくるのは81プロデュースなのかもしれない。

 

 次は楽曲について。

 直近で参加したのがフェスや対バンといった形式の、言うなればボールを投げていくつそのボールが投げ返されるか、こちら側はいくつそのボールを受け止めるかというライブばかりだったから、リリースが直近の「旬」だったり、いつも盛り上がる「熱量」が強い楽曲を多く聴いていた気がする。

 

 だからこそこの日の「うわ、めちゃくちゃ久々にこの曲聴いたよ......」という感覚が何度も襲ってくるという、「まとまった期間以上追っているグループのワンマンライブ」ならではの高揚感や余韻を味わう曲がいくつもあった。最初に触れた「あやふわアスタリスク」。イントロで前のめりになった「好きだよ、好き。」キュートさの詰まった「パンケーキいいな」、そしてこの夏、シーズンに一回も聴くことが出来なかった、ようやく打ちあがった「夏の花火と君と青」。リリース時期も、現地で聴いた回数もバラバラだけれど、どの楽曲もひとたび浴びれば「そうそう、それそれ」とクネクネ気持ち悪い動きをしながら聴き入ってしまうのは、僕にとってはDIALOGUE+の他にはBase Ball Bearくらいのものである。

 

 ただ、「少し離れていた」が故に、聴きこみが甘かった楽曲もあった。それが「シャーベットマーメイド」。右側から鳴っているギターのリフが先述のBase Ball Bearのせいでド性癖、みたいな感想メモを残した以来、指で数えられるほどの回数しか聴いていなかったこの楽曲、あまりにもDIALOGUE+の楽曲としてしっかりと馴染んでいて、ホントに初めてなのこれ?と思ってしまった。これから回数をこなしてどう育つかを何様目線で見つめていくことになる予感がした。

 

 歌唱についても、普段の8人とも、ツアーとしても大阪の7人と違うパート分けとなってとても難しく、負担も、それ以外の言語化しにくい、ステージの上の人たちにしかわからない重みもあったはず。空いた空白をどのような形で埋めるか、六人六色のパートの魅せ方がステージ上にあって、リスナーである僕は「あ、このパートはこの人が歌うんだ」「このパート、この人が歌うと何か(面白いな、という意味で)違って見えるな」と感じさせてくれた。昔、アイドルを推していたとき、卒業したメンバーのパートを誰が歌うか、というワクワク感にどこか似ているような感覚がそこにあった。

 

 ただ、そのワクワク感とも全く異なる感情もあって。

 

 どこの箇所、とは明確に思い出せないのがオタクとして弱いところなのだが、宮原さんの内山さんに寄せているような歌い方をした箇所があり、ふと空白に目を向けてしまう瞬間があった。これは過去の自分には全く無かった振る舞いであり、そのときに、改めてパフォーマンスだけでなく、あくまで声で魅せられる強みを持った人たちが集まったグループであることを強く感じた。

 

 新しい発見と、追いはじめて1年を超えてようやく感じるようになった懐かしさと、少しの寂しさを孕んだこの一日。落ちていた、いやどちらかと言えば勝手に落としていたグループに対する好きの気持ちの歯車に油を多量に注ぎこんできた。内山さんからのメッセージを聴きながらちょっと滲みかけた目はその油の量のメタファーなんだろうな、と感じている。

 

 「ダイアローグ+インビテーション」。

 3月6日、少し自棄になりながら空白のパートで飛んでいたこの曲の、この日の空白となったパートを歌う6人の姿が少し日にちの空いた今でも思い出せる。

 

 「どんなDIALOGUE+が好きか」という、問いに対して。

 「やれるときに、やれることを全力で披露してくれるこのグループが好き。」

 

 いまならそう答えられる、そんな気がしている。

 

はじめてのラブライブ!で観たこと、感じたこと

 ミア・テイラー。

 

 令和4年、僕が恋した女性のうちのひとりであり、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のメンバーである。

 オタクのくせに滅多にアニメを観ない、どちらかと言うと原作派のスタンスを取り続けた僕が、数年ぶりにリアタイするほど心揺さぶられた作品。その第9話が彼女をメインに据えた回であった。

 

 名家のプレッシャーから、自分が歌を届けることを避けていたミアが、「視座さえ違えば評価は変わる」ということに気付き、彼女が届けたい歌を、「we」-スクールアイドル同好会の"わたしたち"-で届けたいと歌う「stars we chase」のライブに繋がる。あまりにも美しい流れで、視聴を終えて大きなため息をついたことを今でも覚えている。

 

 イレギュラーな立ち位置の高咲侑は別にして、スクールアイドルから誰か推しを選ぶならまぁ、宮下愛かなぁと思っていたところに、松木安太郎も真顔で「今のはファウルなので一点覚悟しましょう」と実況するくらい反則的で急激なチャージをかけてきたミア・テイラーとの出会いは、今の僕のスタンスを固めるうえで大きなポイントにもなっている。

 そんな彼女を、彼女を演じる内田秀さんを、そしてラブライブ!というコンテンツのライブを、一度触れてみたい、と感じるのはごくごく自然な流れだった。

 

 と、はいえども。

 これまで手を出して来た現場の大半が「レギュ?ああ何してもええよ笑笑」とか「ペンライト?邪魔っしょ!w」とかいう人種しか居なかった僕にとってラブライブ!の現場に対する偏見が少なからずあった。

 それと場所。武蔵野の森。

 2月にとあるコンテンツを諦めた場所であるこの会場に再び戻る、というのは少なからず抵抗のあることで。(実際いくつかこの会場だから、という理由で参加を見送っているイベントもある)

 そんな人間を引っ張り出そうとしたのがコンテンツの犬の皆さん。

 まずは高校からの同級生。

 

ラブライブ行くぞ!」

 

「いや、その日他の現場あるんで…」

「アソビストアプレミアム先行無いくせにバンナム面してるコンテンツはちょっと」

「ペンライト振らないと迫害されるんでしょ?険しいかな」

 


 とか言って断ってきたが今回だけは話が別。磔にして観るまで帰さんと言わんばかりに圧がけしてアニメを観せてくれた特大のコンテンツ、虹ヶ咲に出会うきっかけを作ってくれたこと半分、そして去年DIALOGUE+の大阪に無理矢理引っ張り出したときのお返しのような気持ち半分で連番者登録を受け入れた。

 


 そして「諦めたコンテンツ」こと、ミリオンライブで出会った友人たち。

 「俺たち、ミリシタで出会った筈だよな…」と言いたくなるほど4月からコンテンツに狂わせられた時間の結実となる5thライブ。途中合流とはいえ共に過ごした彼らとその感想を語り合いたいと思った。

 そしてやって来た因縁の地、武蔵野。

 僕にとってはじめてのラブライブ!の現場体験、行かせていただきますー。  

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 と、いうわけで。

 事前に書き出しだけ書いておいたので、ここからが実際に現場に行ってからのパート。

 

 ラブライブ!、素晴らしかった。掛け値無しに。コレが最初でホントにええんか?と思うくらいには。

 


 アニメが最強かつ最大の媒体のコンテンツ、という印象を触れる以前から常々受けてきたが、このアニメの中への引き込み方がとんでもない。「Colorful Dreams! Colorful Smiles!」をオープニングに「夢が僕らの太陽さ」で締める前半パート。どんな国語教師も添削の余地を挟まない要約のお手本がそこにあった。

 


 特筆すべきはここでソロ楽曲を披露した3人。昨今の野球界のトレンド、2番打者最強論。それを証明するかのような風格を感じさせる「Eutopia」ヤンキースにはジャッジが、ニジガクにはランジュが居ると言わんばかりのパフォーマンス。僕は武蔵野しか参加していないのだが、コンテンツの犬たち曰く「明らかに前回(一週間前)と違う」とのこと。そんなこと言われたら次も観たくなっちゃうじゃん。歌い切った後の不敵な法元さんの笑みにコンテンツの底知れなさまで感じてしまった2曲目だった。


 そして「EMOTION」。稀代のトラックメイカー、tofubeats氏の手がけた楽曲を歌いこなす小泉さん。この日は僕にとってある種リベンジのような一日であった。楽しみだった2月の P's LIVEで観れなかったharmoeとしてのパフォーマンス。その満たされなさを補って余りあるものを見せてくれた。アニメの映像をバックにしてステージを移動する大きなハットが何度も後ろの栞子の映像と重なり、この回の記憶が呼び起こされてウンウンと唸ってしまった。

 3度来る全く同じ歌詞のサビがこの楽曲の特徴なのだが気持ちの昂ぶり、ビルドアップという単語がピタリとハマっていた。こういう曲作りをするバンドを長年追ってることもあって非常にツボ。聴けて良かった。


 最後はお待ちかねの大本命、「sters we chase」。ステージに浮かび上がったシルエットを認めて「…ッスウ…」と身構えてからの3分半、本当にあっという間だった。行き場を無くした迷い猫が光に導かれるようにステージを動く内田さん。センターの位置でサビを歌い出すやいなや表情が弾ける様子はアニメのミア・テイラーのソレだった。ペンライトの光を点けるとかそう言った思考の余地すら挟まず二日間腕組みして聴き、アニメ視聴後の余韻まで追想するような時間がそこにはあった。

 

 これまで触ってきたキャラクターコンテンツに存在する「この人が”このキャラクター”を演じているときは、中の人の推しが居ても目を奪われてしまう、絶対に勝てない」という立ち位置のキャスト。CUE!の六石陽菜を演じているときの内山悠里菜さん、シンデレラガールズの喜多見柚を演じているときの武田羅梨沙多胡さん。その位置に内田秀さんがすっぽりと収まったような感覚を得た。アニメを辿るパート最後の「Future Parade」で「繋げていこう」と伸びやかに歌う姿がこの二日間の僕の脳内のハイライトに鮮明に残っている。

 

 そして後半。特大のソロ曲を披露したメンバーたちが「ほかのみんなのステージを見たい」と言って始まったこのパートで披露されたのは「アニメ1期」のソロ曲。初日の「Dream with You」、二日目の「ツナガルコネクト」が始まった瞬間の会場のボルテージと、アニメしかこのコンテンツを知らない僕の「え、知ってる曲しか流れんのだけど優しすぎ!最高!」という気持ちが混ざり合ってハチャメチャに踊りまくった記憶がある。特にトロッコ。二日目の「Butterfly」を終えたあとの鬼頭さんと「サイコーハート」の村上さん爆レス部、非常に楽しかった。あと田中ちえ美さん。顔面のパワーとソロの声で脳を溶かして首から上をヘドロにするのはやめていただけないだろうか......

 

 2期だけでなく1期の思い出まで呼び起こした時間のあとは全体曲。「繚乱!ビクトリーロード」はフロアを灼熱にしてくれたし、トロッコで全員がすぐ近くまでやってきてくれた「トワイライト」は曲調も相まって変な感動が呼び起こされてウルっときてしまった。そんななか披露されたのが「Hurray Hurray」矢野妃菜喜さんも大きな旗を持って参加したこの楽曲。「スクールアイドルも、スクールアイドルを応援する人も、等しく手放さない」というスタンスを示すコンテンツからのメッセージめいたものを感じた。

 そして「TOKIMEKI Runners」、二日目はダブルアンコールとして「Future Parade」という締め。浅尾ー岩瀬を彷彿とさせる最後のリレーはライブの締めとして素晴らしかった。

 

 さて、この二日間を終えて。

 

 一番に感じたのはコンテンツライブの形の取り方について。

 今まで僕が参加してきたコンテンツライブは「プロデューサー」「トレーナー」「マネージャー」という何らかのロールプレイングを課したものだった。だからこそ一度好きなキャラクターを定めて深堀りしていくような見方をして臨まされていた回数が多いのだが、ラブライブ!の「スクールアイドルが好きな自分」という、飾らないそのままの自分で世界に入り込めるライブの作りにはカルチャーショックを覚えた。

 

 そして私情に近い感情なのだが、僕の境遇を少し刺激してきたのが法元さんの挨拶。ランジュ、栞子、ミアという3人はキャラクターとしては9人の同好会に飛び込んできた立ち位置。そのある意味完成されて、ファンもその世界観を享受していた中に入っていくことはなかなか複雑な感情を持たずにはいられないであろう。シンデレラガールズで喜多見柚の初ステージを見守るときのドキドキした気持ちが彼女の挨拶で呼び起こされ、挨拶としては2番目だったのにもかかわらずほかの方のMCの内容が吹き飛んでしまうくらい刺さってしまった。なんというか、今までオタクとして過ごしていたことってどこかで繋がってくるんだよな、と。

 

 今回、僕にとってはじめてのラブライブ!体験だったのだが中途半端にフェス形式や配信、映像を経験していたらここまでの感想を得られなかったかと思う。引っ張り出してくれた人の縁、キャストの皆さんに感謝したい。

 

 R3BIRTHくらいはユニットライブ行きたいなぁ~、と思う次第です。

 

ーーーおもいでーーー

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風船。せつ菜、良かったよね。特に挨拶からのダブルアンコール流れ。
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ミアちゃん、ご飯だよ〜

 

好きの気持ちを採寸して、着飾って~ 喜多日菜子と、シンデレラガールズに仕立てられた二日間の記録

 出会いはドラマみたいに、奇跡めいて何気なく突然で。


 「別の友達が行けなくなったから穴を埋めてくれない?」という、安いドラマの脚本にありがちな合コンの感覚でやってきた会場。

 ミラーボールの回るなか、お目当ての女性をはじめて生で観て、大興奮する友人を横目に、僕の視線はほぼ、一点に注がれていた。ステージの先にある、どこか遠くを観ているような佇まいを演じている、どこかで会ったことのあるような姿。それが喜多日菜子というキャラクター(を、演じている深川芹亜さん)だった。

 徐々に熱を帯びていくダンスフロアの中でその既視感の正体を探す作業。ミラーボールの切れ間から、虹色の橋を視界の端に捉えた瞬間、その答えは現れた。あたり一面を照らす色とりどりのペンライトに手を振る姿。この日のちょうど一年前に、まだミラーボールも柱も無かったこの場所で観た、シンデレラガールズで2番目に好きな歌を歌っていたカラフルな衣装の女性の記憶と一致した瞬間が、その後色々と狂わせられることになる喜多日菜子の「担当」としてのはじまり。

 

 そんな因縁ある名古屋という土地に、「戦う顔」を携えて、喜多日菜子という概念に立ち向かうためにやってきた。

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THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS LIKE4LIVE #cg_ootd」、さぁ、かかってこいー。

 

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 9回裏に6点を奪われて、千葉マリンスタジアムのベンチを蹴り上げてグラブを投げ捨ててしまうような悔しさが湧いてくる余地すらない、清々しいほど圧倒的な敗北がそこにはあった。あまりにも素直にこの日のライブを褒めたせいで、斜構じゃない僕を病気かと心配する人間もいた。しょうがないじゃん。君らがゲームやらなくなってからのシンデレラガールズの曲、実は割とだいたいみんなそれなりに好きなんだもん。

 

 2022年、担当補正抜きで断トツの楽曲とislanddirty334的に名高い「トキメキは赤くて甘い」、去年の愛知、2日目を握らなかった唯一の後悔、「#HE4DSHOT」、ライブテーマとの噛み合いが半端でなかった「ストリート・ランウェイ」etc…つつけばつつくほど感想が出てくるこの2日間。それでもやはり、いちばん舌が回ってしまうのは喜多日菜子という概念についてであった。

 

 妄想を共同幻想に変えて会場を魅了するシンデレラガールズというコンテンツで、この点において彼女の右に出るものは居ない。「きっかけ」と「ハッピーエンド」が定まりさえすればどんな楽曲でも自分のものに出来る、ある種のジョーカー、二次創作での一ノ瀬志希のクスリのような武器を持った彼女に、「どうしてこの曲を歌うのか」というアンサーを用意したいという、1年ぶりに呼び起こされためんどくさいオタクの性と、そんな喜多日菜子という概念を追いかける過程、遡れば彼女に出会う以前に重ねてきた思い出の双方が刺激され、言葉を紡がずにはいられなかった。

 と、いうわけでここからは、どんな解釈も正しいという公式の言葉を隠れ蓑に、この2日間の喜多日菜子がステージで披露した楽曲に対する感想や妄想を詰め込んでいく。それでは久々の「戦う顔」、行かせていただきますー。

 

・見るべき目線を斜めからまっすぐ揃えて~「Near to You」

 

 あまりにも久しぶりに聴いたイントロに高揚を隠しきれなかった。

 はじめてデレステで走ったイベントで魅了された音「Nothing but You」。そんな音を紡いだ敬意を表すべき作曲家が手がけた楽曲を担当が歌う、感慨深い時間。


 10thライブ、福岡公演の「shabon song」の描いた「一夜の夢の儚さに向かう喜多日菜子」に心臓を握られている僕としては、「空に舞うシャボン玉」という最初のフレーズから「シャボン?!?!?!」と脳が焼けそうになっていたが、いちばんのピークは2番の「大きな夢に 飛び立つ気持ち」という歌振り。夢見る少女の基礎の基礎のようなフレーズを歌う姿に唸ってしまった。連番者なら多分ここで僕が「そういうことかぁ〜!」と頭を抱えてしゃがみ込んだことを覚えているかもしれない。

 

 そしてこの曲を日菜子と一緒に披露したメンバー。モバマスに対しては超絶浅いことで有名な僕でも出てきた瞬間に分かった「ユメミルオトメノ151's」という151センチという身長で括られたユニット。

 ここで151センチという「スケール感」が提示されたことが次の2曲に繋がっていく。

 

・せめて、15歳らしく~「リトルリドル/Romantic Now!」

 

 Near to Youを歌うメンバーで示された、喜多日菜子の「身長」というスケール感。それに引き続いて示されたのが彼女の「年齢」というスケール感。

 喜多日菜子というキャラクターを担当する時間が長くなっていくにつれて、いつの間にか意識することが少なくなってしまった「喜多日菜子は15歳で、中学生」という設定が急に実感となって迫ってきたのがこの2曲。

 

 思えば僕が、喜多日菜子というキャラクターにはじめて惹きつけられたポイントはこの「15歳」という設定だった。

 

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 もうひとりのシンデレラガールズの担当、喜多見柚。同じ15歳で、異様に出席番号が近そうな名前。この2人が交わるとすれば、どういう会話をするんだろうかというのが、妄想少女を解釈しようとするこちら側の、はじめての妄想体験。不意に馴れ初めを思い出させてくるじゃん…と腕組みしてしまった。

 

 喜多日菜子はまだまだ「リトル」だし、年相応の「リドル」を抱えながら日々を過ごしていて、雑誌の占いの欄の「ロマンティックなことが起きる予感」を信じていて差し支えのない少女。だからこそ、この2曲を歌う姿が自然とハマっていた。深川さんの歌い方も、他の曲以上に蕩けて、少女感を持たせているように感じた。

 

 特にリトルリドルの終盤の、「曖昧とかビミョーな感じ」というフレーズと、それを歌う表情。

 どうにもならないけれど、それを表す言葉もない少女の葛藤。「愛してる」を伝えたいのにその対象である王子様や、伝え方がぼやけて見えない。ひとことで言うならば「曖してる」状態が見え隠れしていて胸の詰まる思いをした。

 

 少女としての年相応の悩み、そして葛藤。

 日菜子にとっての、ライブテーマの着飾りの前段階を示したのがこの2曲であったと考えている。

 

・妄想の球根を聴き手にも広げて~「Tulip」

 

 世界を救う力の代償に、王子様以外の誰からも見えない禁断の果実を食べてしまった日菜子は、世界を救った約束の丘へ向かいました。その丘に向かう途中の船で嵐に襲われ、打ち上げられた砂浜の上。もう誰にも見つけてもらえない…雨に打たれながら泣いていた日菜子の背中から聞こえる「お嬢さん、傘は?」という声!それに「忘れてきてあげたのよ、自分の傘は」と返したあと、日菜子は、日菜子は〜......

 

 例えて出すなら、こんな感じの妄想。

 

 今回喜多日菜子が歌った楽曲の中で、最も意外性があったのはこの「Tulip」だったのではないだろうか。2日目のライブも終盤に入るというタイミングで披露されたこの楽曲は、ここまでに日菜子が歌ってきた曲とは毛色が違う、少し背伸びした姿を見せていた。「デコルテを見せつけてシャツを開ける」ような大胆なことだって、妄想ならなんでも出来ちゃう。どんな曲も自分の色に化けさせる彼女の強みが見えた一曲だった。


 ただ、「それだけ」では無いんですよね。ヒントはこの曲での彼女の立ち位置

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 そう、Tulipのオリジナルメンバー、宮本フレデリカ。その立ち位置に喜多日菜子は立っていた。イントロで「この曲?!」と飛び上がり、双眼鏡越しに深川さんの姿を見つけて「アッアッアッ」と心の中のDiggy-MO'が暴れだし「酸素足んねえよ、笑い止まんねえよ」「分かってねえだろ…ペイス…」と毒づきながら、視点を全体に戻したときの頭の中でビビッと繋がる感覚があった。

 

 日菜子とフレデリカの接点として今年(いや、厳密にいえば伏線は相当前に張られていたが)提示されたのが「アミマネラ」。後にも言及することになるこのユニットの少しだけ先のお話を見たような気がした。この曲を歌うことになった日菜子は、フレデリカにどういう話をしたんだろうとか、別のキャラクターを巻き込んで、面白いことが起きるんじゃないかとか。日菜子がツッコミに回らざるを得ない状況になるとか。コミュで描かれない出来事が次々と浮かび上がってきた。

 

 シンデレラガールズのライブに何度か足を運んでいると、「オリメンでないのに披露される楽曲」がよく見られる。そこにある理由や背景を「妄想」するのが僕なりの楽しみ方としてある。特に「担当じゃない子のソロ曲を歌う姿」を観て惹きつけられた日菜子に対してはその気持ちが強い。「妄想プロセッサーとしての彼女が広げる世界にこの日も魅了されて、こちらも妄想を投げ返してしまいたくなったワンシーンだった。

 

・日菜子の見せた「戦う顔」にあてられて~「ラビューダ♡トライアングル」

 

 さて、ここからは妄想成分控えめ、個人の思想多めのターン。

 

 今回のいちばん大きな目的はこの曲の回収にあった。

 

 それなりに貯まったスタージュエル、繁忙期に毎日理由をこじつけて定時で帰った故の世間体、一日分の有休、寝ぼけまくった推しイベ・Anime JapanのCUE!トークショーの記憶、平衡感覚、今なお健気に毎月誘ってくれる同期との呑み会に唯一参加できたチャンス、出会い系アプリでいい感じまで行った三次元女

 この曲のイベント期間中に犠牲にしたものを適当に並べただけで頭を抱えてしまいたくなる。けれどもこの時間だけは頑張らないといけなかった。喜多日菜子という概念の魅力に堕ちた直後にやってきた、「ギュッと Milky Way」のときの自分だけは倒したい。「推したてホヤホヤ」のあの頃の僕に対するファイティング・ポーズ。向こう側の世界で、「僕が一度手放したある概念」に対して戦っているように見えた日菜子に触発されたかのように「戦う顔」を整えた。

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 まぁ結果は大したことなかったんですが、そういうことはどうだっていい。

 話したいのは喜多日菜子が「戦っているように見え」た「僕が一度手放したある概念」について。僕についてそれなりに知っている人はピンとくるかもしれない。そう、シンデレラガールズにおける「キュート」という括りである。

 

 喜多日菜子という女の異質さは楽曲、という括りで見ると分かる。パッションという括りに居ながら、ソロを除くとオリジナルメンバーとして存在する楽曲はキュートのほうが多い。(あ、そもそもの曲の母数が少ないって意見はライン越えなのでやめていただけないだろうか…)以前どこかで久川颯というキャラクターの印象を「クールとキュートの汽水域」と表現したことがあるが、日菜子は言うならば「パッションとキュートの汽水域」に相当近い位置付けにあると考えている。

 

 さて、このキュートという概念。今はパッションの2人を担当している僕の古巣と言っても差し支えないものである。デレステ触るきっかけの女、少し前まで推していた女顔が好きな女、好きな。思い返してみれば僕のシンデレラガールズの歴史はだいたいピンク色だった。愛だ恋だ、好きだ可愛いだの基準の明確でないふわふわで曖昧な概念の総称のような「キュート」。

 それを持ち合わせているのは、決してその括りに属するキャラクターだけではないことを、喜多日菜子に接していると強く感じるときがある。「ギュッと〜」で示した、恋する乙女の代表としての、シンデレラガールズ恋慕枠代表としての役割を果たしたのが良い例。

 普通の恋も、日常もイメージして形にできる。

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 普段のトンデモ世界観ではなく、普遍的な世界を描き出して、立派なキュート曲の歌い手となった。

 

 そんな彼女にもう一度回ってきた、キュートの曲を歌う機会。それがこの「ラビューダ♡トライアングル」、そして「アミマネラ」というユニット。

 Tulipのときに触れた、噛めば噛むほどクセになりそうな独特の「キュート」を持った宮本フレデリカとの接点も勿論あるが、もうひとりのメンバー、島村卯月と、喜多日菜子の接点ができたということが、「キュート」という概念に惹きつけられてシンデレラガールズをプレイしてきた僕にとって、あまりにも大きすぎる事実だった。

 コンテンツの顔、そして「キュート」という概念の象徴。そんな存在と属性違いの自分の担当が「新しいユニットとして」肩を並べて歌う機会がやって来るという、あまりにも出来すぎたシナリオ。さすがにコンテンツに何かを握られているとしか思えなかった。

 

 そんな楽曲のコミュでの喜多日菜子は「ギュッと〜」のときとは違う描かれ方であった。控えめに、出来るだけ普遍をイメージした頃よりも「妄想」成分強めに、キュートの2人に対して向かい合ってそれなりにバチバチしていく展開。

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 そしてこの宣戦布告とも取れるセリフ。10年の歴史を持つコンテンツのひとつの概念の土俵に、妄想という武器を持って上がるひとりの少女の姿を見て「可愛い」よりも先に「アツすぎるだろ、コレ…」という感情が産まれてしまった。

 喜多日菜子はキュートという概念に、「再び招かれた」のではなく、「パッション」を「叩き込みに」来た。そんな曲がぶっ刺さらない訳が無いし、犠牲をたくさん払ってでもイベントを頑張る理由には充分すぎた。

 

 そんなことがあっての、この日の初披露。day1.day2ともに特殊イントロと、ピンク色のハート2つの後に灯った黄色のハートを見た瞬間から、視界は色んな感情を伴った液体でぐっちゃぐちゃになっていた。普遍的な恋から一歩踏み出して、恋のバトルロイヤル、複雑な関係まで歌える妄想少女彼女のパッションは、この2日間でキュートの歴史の1ページに刻まれた。かわいいの中にちょっとしたトリップと不敵な様子を感じさせる、この曲の日菜子としての深川さんの表現にそんな確信を持たずにはいられなかった。

 

シンデレラガールズのルーツと思い出と、今、好きな女の「等身大」~「Kawaii make MY day!」

 

 ......だからそういう追い討ちはホントに良くないって言ってるじゃん。

 

 何考えてるの?イントロドンで目の前のパイプ椅子掴んで前のめりになるなんていつ以来だよ。←アニサマでした…1週間前…

 

 散々キュート擦ってきたけど、その中でも別格の思い入れを持っている曲がこれ。僕がシンデレラガールズではじめて明確に「担当」というものを意識したのが中野有香というキャラクター。そんな彼女のユニット曲。7th幕張公演で久川颯、久川凪とともに歌うことで、ユニットの縛りから「かわいい」という概念の拠り所に昇華したこの曲が、更にステップアップして「ライブのアンコール」という位置で披露される日が来るなんて思いもよらなかった。ライブのテーマ的には歌うだろうなとは察していたけれど、実際に披露されると感情は何倍も揺さぶられるようで。

 

 10thライブを通していちばん大きかった後悔が「ファイナル初日に、中野有香を観ることができていないこと」だった僕。 

 Kawaii make MY day!の初披露をLVで見届けて、「いつかこの曲が、頭か大トリの目立つ場所で歌われるようになればいいなぁ」と考えていた、この頃はまだプロデューサーらしい思考回路を持っていた僕。

 

 そんな2人の過去の「僕」が一気に夢を叶えた瞬間がそこにあった。特に後者は一度心が折れて、コンテンツを手放す前の出来事だったから余計に感情が揺さぶられた。

 

 そんな私情の積もりまくった楽曲を披露した面子の中に喜多日菜子が居ることも嬉しい要因のひとつだった。ごめん嘘。嬉しいとかいう次元じゃない。こっちじゃないと多分アホほど泣いてない。

 というのも、今回はアンコールの一曲目をだいたい半分の人数で披露しており、初日は「Palette」、そして2日目がこの「Kawaii make MY day!」だった。

 

 では何故「Palette」ではなく「Kawaii make MY day!」だったのか。その理由は2番の歌いだし。「都会で出会う女の子 最新すぎ 大問題です」というフレーズ。このパートは中野有香が歌うと「普段なかなか踏み出さないオシャレな店に行った年頃の女の子」感が出るのだが、喜多日菜子が歌うと「夢を追ってはじめて都会に出てきたときの感覚」という、地方出身という彼女のスケール感が浮かび上がる。よく僕は「視座の違いと時間の流れを感じさせる概念」”癖”であると言うが、この曲、このフレーズはその癖を大いに刺激してきた。

 

 身長、年齢、特技の妄想ときて、出身地。喜多日菜子を少しずつ、ジワジワとあぶり出した2日間のトリ。日菜子のルーツとともに僕自身のシンデレラガールズというコンテンツのルーツまで辿られてしまって、斜めに構える暇なんて無かった。

 1番で既に泣きすぎたのに、そんな2番の頭の歌詞で深川さんを抜いたカメラはマジでやってる。普段双眼鏡or踊りのスタンスでモニターなんて見ないのに思わずガン見してしまった。多分脳内ハッキングされてたんだと思う。

 で、その次に映ったのが辻野あかり役の梅澤めぐさん。

 何?「LIVEツアーカーニバル 友星公演 ~夢とあなたと芽吹くタネ~」じゃん。数少ないモバマスの記憶まで補完されるオーバーキル。「全ての事象には理由がある」とはよく言ったものだけど、流石にこじつけを疑うレベルの思い出ボムの連鎖が襲ってきた5分間。

 何度も投げ出そうとしては推しを人質にとって現地に呼び寄せて、望んでいたもの以上を投げつけてくるシンデレラガールズ。どうやら僕はまだ、このコンテンツを追うことが出来るらしい。

 

・「認めてくれなくたっていいよ」

 

 サブタイトルなんて要らない。これだけでいい。

 

 僕がシンデレラガールズというコンテンツを、「何度も投げ出そうとした」理由。

 そのひとつが 「jewelries!」シリーズの存在にある。

 

 CINDERELLA MASTERというCDシリーズで、ソロ楽曲とオリジナルのジャケットを与えられたキャラクターに、さらなる特権と言わんばかりに与えられるカバー曲、そして2曲の新曲。

 それは多分、僕の担当には来ない。イレギュラーな形で与えられたソロ曲はすなわち先の展開がほとんど閉ざされてしまうことを意味する。正直に言うと、このソロ曲が、喜多日菜子の、喜多見柚のソロ曲が、「世界滅亡 or KISS」「思い出じゃない今日を」が、あれほどのクオリティでなければ間違いなくコンテンツを投げ出していた。

 

 自分の好きな概念には回ってくることがない、正直情報を耳に入れるのも避けたかったはずのもの。今回披露された「認めてくれなくたっていいよ」という曲は、そこに位置づけられるはずであった。

 

 何も知らない新曲で泣いたのは、「UNION!」以来だった。

 

 10周年記念アニメーションで示した「過去も未来も、観測者(≒プレイヤー)にとって、無限に存在する」というスタンスを補強するかのように、斜めに構えてコンテンツに向かっているほどグサグサ刺してくる歌詞が痛い。直前の「jewelries!シリーズの新曲です」という紹介で身構えていたことも手伝って、余計に弱点を晒してしまったらしい。目を背けていたかった、毒づいていた概念ともいえる曲を大事に、抱きしめるかのように歌う日菜子の、深川さんの姿を視界にとらえて、「こんなに良い表情で歌ってる曲を、なんで嫌いになろうとしてたんだろう」と、自分を責めるような気持ちもあった。

 それを掬い上げてくれたのが「好きと好きが重なる場所で会いたいな」というフレーズ。(うろ覚え、アーカイブ買ったのにまともに観れてないので)この日名古屋にやってきた目的は「好きな役者さんが、好きなキャラクターを演じる姿」を見るためだし、そんな場所で「好きな概念に真っ向から向かう好きなキャラクターの姿」、「好きだった概念と今好きな概念が交わる瞬間」を、「互いに違う”好き”がある友人たち」と見届けられた2日間。喜多日菜子を「はじめて好きになった」土地に帰ってきて、「さらに好きに」なった思い出を重ねた日。こうやって好きを重ね着して新しい装いを生み出していくような曲だった。

 

 はっきりと口にするには小恥ずかしくて難しいけれど、僕のスタンスに寄り添うような楽曲のリリース。間近に迫ったラビューダ♡トライアングルのリリースの先に、もうひとつ楽しみが増えた。

 

・おわりに~好きの「採寸」

 

 手芸部に所属している」

 

 喜多日菜子というキャラクターのスケール観について洗い直すようなライブを振り返る過程で、「大切な要素なのに、見落としていたことに気づいた」設定がコレ。ライブテーマが衣服やおしゃれに関わるものであるのだから、彼女はテーマ的にも来るべくして、このライブに来たんじゃないかと、ふと思った。

 

 身長、年齢、出身地、趣味・特技、そして所属。キャラクターを浮かび上がらせる様々な要素を楽曲を通じて明らかにしたうえで、「Tulip」と「ラビューダ♡トライアングル」のように、新しい表情も付け加えていく。この繰り返しを一言で言い表すとするなら「採寸」という言葉がハマるんじゃないか、そう思う。

 気になったジーンズを選んで、物差しをあてがって、自分に合うような裾の長さに合わせるような、僕の記憶にもあるそんな作業。キャラクターが複数いるコンテンツで「どんな子が居るんだろう」と見定めていく作業は、これにとても似ているような気がする。

 

 その「採寸」を、シンデレラガールズというコンテンツが、喜多日菜子というキャラクターが僕の内面にもするように迫ってきた一日。「日菜子のどこが好きなんですか?」(←割と言ってもらいたい)「キュートという概念のどこがいいんですか?」「昔好きだった女は?」といった問いかけの末に、僕にはKawaii make MY day!」という定番の服と、「認めてくれなくたっていいよ」というトレンドの服が仕立てられてきた。セットリストの流れとしては、「Brand new!」と「お願い!シンデレラ」が最後に仕立てられた「トレンド」と「定番」の服。この服をどう着飾るか、それはこれからの自分次第なんだろうと思う。

 

 シンデレラガールズというコンテンツが、これから先、喜多日菜子に、そしてもうひとり、喜多見柚にどんな服を仕立ててくれるのか。しばらくは行く末を見守っていける活力を得た、そんな2日間。とても良い時間だった。

 

 あとは僕がふたりにどんな服を着せたいか、という妄想も再開させた。無限に貯まっている「柚に、日菜子にカバー曲選ぶなら"コレ"リスト」、それがいつか火を噴くときを信じている。シンデレラガールズ、頼みます。

 

ーーーおもいでーーー

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新幹線で降りたのははじめてでした。
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ナナちゃん、久々にみたけどやっぱデカかった。

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一応観光らしいことも。

でらます企画、丹羽仁美というキャラクターの解像度をここぞとばかりに上げていて身内のオタクが嬉しそうだった。f:id:island7beauty:20220910132344p:image

 

ライブ後即決したスカチケ。俺の答えはコレや。

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楽しい2日間をほんとうにありがとう。

 

1/50を追い続けて、引っ張られて~10th Anniversary Celebration Animationと喜多見柚にまつわるエトセトラ

 「引っ張られたい女と、引っ張りたい女が居るから」

 


 普段仲良いと僕が思い込んでいる人間たちに「どうして未だにシンデレラガールズのゲームを続けているのか」とよく聞かれることがある。(僕もどうしてそんなゲームまだ続けてるの、と彼らに言いたくなるときが多いが…まぁ、大人なのでね…)基本的には「Oh…I'm Cygames dog…」と返しているのだが、真の答えを出すとするならば、これ。

 


 引っ張られたい女というのが喜多見柚

 引っ張りたい女というのが、喜多日菜子

 


 シンデレラガールズというコンテンツの裾にしがみついている僕が、それなりに大きめの感情を持っている2人のキャラクター。同じように見えて少し違ったスタンスをしているので良い感じに飽きが来ない…というのがここまで保っている要因なんだと思う。

 

 そんな彼女たちに大きな出来事が、2週間立て続けにあった。少なくとも僕の心をぐちゃぐちゃに引っ掻き回すには充分すぎる出来事。その記録を残していく。

 


 まずは引っ張られたい女、喜多見柚から。

 

 


 ふいうち

 


 必ず先制できる(優先度:+1)。相手が使う技が攻撃技ではない場合や、優先度などの関係ですでに攻撃を終えていた場合は失敗する。相手が『ねむり』『こおり』状態でも攻撃技を選択していれば成功する。(第6世代は威力:80)

 


 おいうち

 


 相手がポケモンを交代する時に攻撃すると、交代前のポケモンに2倍のダメージを与える。

 


 極悪コンテンツ、アイドルマスターシンデレラガールズからタイプ一致の2つの技を同時に食らってしまった僕、コンテンツの亡霊、ゴーストタイプ。弱保もなければ襷もない僕の耐久では受けきれなかった。

 

 8月28日に公開された、CINDERELLA GIRLS 10th Anniversary Celebration Animation 「ETERNITY MEMORIES」、その17分22秒頃からの映像。そして後半の「EVERLASTING」


www.youtube.com

 心臓から手が生えてスクランブルエッグを作り始めるかのように、心をぐちゃぐちゃに掻き回された。

 そのあとに別のイベントに行かないといけないのに、推しを目の前にする直前なのに、心の切り替えが出来るのか不安になってしまうくらいの爆弾がそこにはあった。

 


 アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツの、裾を引っ張り続けている大きな2つの理由の片割れである喜多見柚というキャラクター。

 10年の節目を迎えたコンテンツの「メモリーを拾い集める役目を任された彼女が、パートの主役として動く姿。久しぶりに聴いた「思い出じゃない今日を」、そしてサプライズは、CDとしてリリースされた音源とは違う、武田さんが歌唱している「EVERLASTING」の音源。

 


 このコンテンツ、個人の感覚では50回に1回くらいしか褒めることが無い展開をしてくるけれど、その「50分の1」に今回も敗北を喫してしまった。このアニメーションは、それくらい「僕にとっての」思い出ボムとして良くできていた。(キャラクター全員に寄り添えているか、という問いの最高回答とは言い難いので「皆見たほうが良い」とは口が裂けても言えないけれど。)

 

 そんなアニメーションで語られたのは、「過去も未来も、観測者(≒プレイヤー)にとって、無限に存在する」ということ。正史通り順を追っていかなくとも、後付けの知識でも、それを否定しないスタンスの表明ともとれるこの一節が心を軽くしてくれた。その反動でこの文章が構成されている。

 


 というわけで、前回に引き続いて昔話。

 


 喜多見柚をキーに出会った50分の1の「良いこと」について書いていく。

 

 冒頭、柚が招待状を受け取ったスノーマンの衣装。僕にとっては「お隣が総選挙とかいうのやってて、気になったキャラクターを特訓させたらいきなりコスプレしたんだけど…」という戸惑いに似た思い出が浮かんでくる。

 


 着ていた水着のカードをはじめてみたときの感想も「水の表現が丁寧だなぁ」くらいのものだった。

 この通り、始まりはホントに薄い「感想」程度しか得ていなかった存在が喜多見柚だった。ショートカットという性癖を頼りにピックアップしたキャラクターの中で、いちばん声が付きそうな子は誰だろうという検索と詮索の着地点が彼女だっただけ。

 

 「コミュとか歴史とか他人の解釈とかにもほとんど触れてないのに、面白そうという理由だけで2年続けて、しかも2年目はバイト代の半分を突っ込んでまで票を入れた女」が、特別な位置に居ない訳がない。「シトロンデイズ」のカードではじめて声を聞いたときの、今でも思い出せる感慨を引き鉄にして漸く、彼女と対面で向かい合う姿勢を取ることになった。

 

 この一年後に。

 

 このボイス発表のすぐあとに、心の底からシンデレラガールズ(厳密に言えば、それに関わっているオタク)が嫌いになる出来事が起きる。コンテンツが提供する、50分の1の良いことが立て続けに降ってきて、勘違いして25分の1くらいのペースで求めるようになってしまったが故の苛立ち。当時の好きなキャラクターに対する負い目もあって、接することを控えていた。

 

 そんな場所に戻って来るきっかけは、やはりノリと勢いだった。

 THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS SS3A Live Sound Booth♪。友人から「え、行くでしょ?」と言わんばかりに手渡されたライブ・ビューイングのチケット。アルバイトのシフトを捻じ曲げて参加したこのライブではじめて「喜多見柚: starring 武田羅梨沙多胡を観た。

 


 一言で言ってしまえば、溶けた。

 喜多見柚としての声を聴いた脳と、コンテンツに対して感じていた閉鎖的な気持ちの双方が、文字通りに。

 

 あまりにも再現度の高い喜多見柚の代弁者として、この先何度も何度も自分の中で勝手に勝負を挑んでは敗北を喫することになるこの女性とのはじめてのマッチアップは、やはり、というべきか。余りにも清々しいほどの敗北だった。

 

「担当じゃないけど」それなりに好き、

「担当じゃないけど」お話は読む、

「担当じゃないけど」ライブは観に行く、

「担当じゃないけど」イベントはそれなりにやる。

 


 ことあるごとに「担当じゃないけど」と頭に付けて接するスタンス。「いや、別に(好きな推しいるし)コレにはまだ負けてねえから」と言いはじめたら大抵もう負けているという斜構のジンクスの始まりは思い返すと、彼女にあった。

 


 その中途半端な距離感に蹴りがついたのは7th幕張のあと。

 今見返すと小恥ずかしくなるくらい青い文章(中の人のことらりちゃんって呼んでたんだ、今はどの女性に対しても伏字なのにな…)だけど、ここに推しを公言するまでの逡巡を超えた瞬間が詰まっている。

 


 「面白そう」だからシンデレラガールズに手を広げた僕と、「面白そう」がきっかけでアイドルになったひとりの「なんか生き様が似てる」キャラクターとの引っ張り合いの中に身を浸していたい。

 


 このとき抱いた感情は、完全に枯渇することはなくここまで来た。50分の1のペースで、良いことを受け止めて、飲み込んで、吐きたくなったら今みたいに文章を書いて。他の誰かと殴り合うのをやめて、概念とだけ殴り合うスタンスがこの日を機に始まった気がする。このあくまで一対一のスタンス、良いように見えてだいぶ危ない橋を渡っていた。

 解釈について意見を求めたくなっても、投げるボールは受け止めてくれた「気」になるしかない。50分の1をひとりで壁打ちしながら待つ作業は、子供の頃おじいちゃんが教えてくれた緑内障の症状のように視野を狭めていった。

 

 そんな日々が続いていたときにやってきた50分の1。それが「思い出じゃない今日を」。ロックでもなく、ポップなんてもんでもなく、ましてヒットの兆しの無い、ただ彼女の思いを走らせた、単純明快な「独白」

 

 ずっと近くにいたのにはじめて会話をしたような不思議な感覚に包まれて、たかがゲームと思って接していた概念に吐き気を催すほど泣かされたあと、無性に誰かと話したい、言葉を紡ぎたいという気持ちにさせられてしまった。ずっとボールを投げ続けるだけの概念とはじめて交わした「会話」の延長戦の如く、マイク越しのオタクを喜多見柚に見立てるかのように「あの日、あのとき、あんなこと」を話した。ひとりで向き合い続けた時間の総ざらいを夜中の2時まで受け止めてくれたオタク…いや友人がいることに気付いたのは、50分の1の中にあった大きな副産物だった。

 

 同担という概念を意図的に避けまくって、孤独なはずだった僕にも、こんなに好きを曝け出しても「大丈夫」だと思える人間が、身近にたくさん居る。それに気付かせてくれた存在に、いつか、何かを返したいという気持ちが芽生えていた。

 


 あまりにも一方的だけど、驕りに近いけれど、それを達成できたと感じているのはイベント「パ・リ・ラ」。50回に1回もあるかどうかという柚のいる新ユニットの楽曲。

 

 友人たちとの楽しい思い出を、忙しくなりつつあった仕事の予定をほんの少し犠牲にしてでも、アイコンにしている喜多見柚という存在をとにかく上に連れていきたい。引っ張られるだけの立ち位置から引っ張る位置へ、少しだけスタンスを変えた。


 ミリシタ、という名前のゲームの、とあるラウンジで出会った友人が、「担当のイベントで、自分の担当のアイコンが10傑(上位10人)に居ないのは悔しい」と言っていた。理解することを心の中で避けていたはずの彼の気持ちが分かる日が来てしまった。絶対に負けたくない、絶対に柚のアイコンを僕が残す。その気持ちが222時間のいちばんのエネルギーだった。

 

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 その先に掴んだ6位。彼女との因縁を作るきっかけになった総選挙と同じ数字。不思議な縁のある場所に彼女のアイコンを刻めた嬉しさもあるが、そのときの総選挙の彼女の順位は5位だったから、「喜多見柚という概念に、一生一歩先に行かれて勝てない」ことを暗示されている気がした。

 その証明が10th。両日チケットを持っていながら中止になった沖縄公演のやるせなさを超えた先に、「この日しか行けない」と参加したファイナル2日目に披露された50曲の1つが「パ・リ・ラ」。柚が、武田さんが歌うこの曲を聴いて、頑張った先に得られた特大のリターンにまた敗北を喫した。「always」という柚のはじまりの曲とともに、いつかのライブで得た「前からも後ろからもギュッとされて圧死する」感覚に襲われた。

 

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 そんな10thファイナル公演、喜多見柚というキャラクターに出会ってからの担当じゃない時間、担当になってからの時間でいちばん思い出深い瞬間を切り取ったこの日を超えてから、どうこのコンテンツに、喜多見柚というキャラクターに向き合うか困っていた。惰性でログインだけ続けているスターライトステージ、閉じていくことが決まったモバマス。もうひとりの担当、喜多日菜子は次のライブで見届けられることが決まっていたから、余計に「どうしよう」という気持ちが膨らんでいた。

 

 そんなところに投下されたのが今回の爆弾だった。今まで散々待ち焦がれた50分の1。そんなアニメでソロ曲がフィーチャーされる190分の1、そしてEVERLASTINGの歌い出しを担う3分の1。大学生のときに何度もハマった319分の1より遥かに薄い確率を引けた喜びが心にストックされ、僅かでも出来ることを続けよう、という気持ちに青い「進め」ランプを灯した。進んだ先には、手を伸ばして待っている彼女がいる。 

 


 cg_ootg2日目、ライブ後に発表された次回ライブの出演者の中に喜多見柚という文字を認めて、次の50分の1を無事に迎えられたらいいな、と考えている。

 

 最後に彼女の、一番好きな台詞を。

 

 伸びすぎてついていくのが厳しくなってきたけれど、どうにかついていけるように。

 

 いつか「あこがれ」と表現した彼女に対するこれからのスタンスは、こんな感じで。